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人は自分たちの餌の収穫に忙しかろうし、なにより、この崖は登れまい。
やっかいなのは狼だが、この場所であれば取り囲まれることはない。
落ち着きを取り戻し、ふと、空を仰いだ。
翼を広げた鷹の姿が目に入った。
見る間に姿勢を変え、正面から挑むように降下してくる。
崖から追い落とそうというのだろう。
愚かな行為だ。
狙うなら、うさぎか鼠に絞るべきだ。
たとえ、餌が取れず、追い詰められているのだとしても後方から忍び寄るべきである。
とはいえ、降りかかる火の粉は払わねばならない。
自慢の角で迎え撃とうと頭を下げた。
その時、対面の崖から、何かがうなりをあげて飛んできた。
首をひねった途端、視界がぶれ、目の前が赤く染まった。
*
それが自分の首から噴き出す血で、飛んできた手斧が自分の喉をかき切ったのだと理解する前に、牡鹿は意識を失った。
そして、岩場に降り積もった紅葉を撒き散らしながら谷底に落ちて行った。
*
対岸の崖の窪みにある灌木が揺れて、異形の者が姿を現した。
それは、まさしく異形だった。
それは、地獄の炎を思わせる、燃え上がるような紅い髪の毛を持っていた。
その鮮やかさは、とてもこの世のものとは思えなかった。
しかも伸びるにまかせた髪の毛の量は常人の十倍はあった。
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