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第九話 乳母子
雀のさえずりが聞こえてくる。
空も明るくなった。
「そういうわけにはいきませんよ。姫様にお会いするのですよ」
三郎の母、ヨシが、まなじりを吊り上げた。
イダテンが邸に招かれたといって張り切っているのだ。
早く衣を着替えろと。
正しくは呼び出されたというべきだろう。
気は進まないが、助けてもらった以上、礼は言わねばならない。
それに、出向けば、寝殿造りの邸を、間近に、加えて内部からも見ることができる。
このような機会は二度と巡ってこないだろう。
用意されていたのは、限りなく黒に近い深紫の地に浅紫色の藤の紋をあしらった衣だった。
袍(ほう)と言う名の装束だという。
光沢のある滑るような生地や綾織とやらに驚いた。
これが絹というものか。
麻の衣でさえ父の衣を仕立て直した二枚しか持っていない。
烏帽子も用意されていたが、イダテンの髪は収まりきらなかった。
髪は、黒い布を幾重にも巻いて、つむじの上で束ねた。
束ねた髪は大きく広がり、肩に背中に滝のように流れ落ちた。
土手側の半蔀(はじとみ)から入り込んだ朝の柔らかな光が真紅の髪に降り注ぐ。
髪は、透きとおるように輝き、黒い衣との対比を一層鮮やかにした。
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