ご隠居愛人

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悲しくて悲しくて、泣いていたのか。 それとも、なんでだよ!なんでだよっ!と怒り狂っていたのか。 このバターのように。 地獄にあるマグマみたいに。 怒り心頭でグツグツ煮えている。 なにかが消えゆくときは、悲しかったり怒ってみたり、いろいろぐちゃまぜになるのか。 持て余す感情を受け止めきれず、自分でもどうしていいかわからない。 森戸と名乗る美青年は火を止め、ソテーパンを傾けて皿の上で四つ折りにされた薄茶色のガレットに回しかけた。液体化したバターは、染み込んで、すぐになくなった。 バターの命なんてあっという間だ。 コーヒーカップの横に白く厚みのある皿が置かれた。 「お待たせしました」 「ありがとう」 添えられたナイフとフォークを持って、ガレットを切り裂く。 ひとくち大にして口に運ぶ。 バターの香り、ガレットの香り。 カリッとした部分とバターの染み込んだ柔らかい部分が口の中で混ざり合う。 ああ、美味しい。 形はなくなったけど、こうしてバターは口の中で生きている。 それでいいんじゃないか……。 「私ね、愛人なの」 「いかにもですね」 「でもね、捨てられたの」 「その性格じゃあ、ね」 「アンタに言われたくないわ」 風の噂に、浩一郎には新しい愛人ができたのを京香は聞いた。     
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