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Edge of Heaven - 天の端 -
母がそのまま張りついたようなこの顔で損をしたことなど一度もなかった。
あらゆる海の色を詰め込んだ青い瞳は涙が溜まっているようにしっとりと濡れ、眼差しだけで妖艶な微笑をつくることができる。文句のつけようのない桃花眼だ。
えりあしを長く伸ばした黄金の髪は特に女たちの目を引きつけて離さなくした。
唇は赤く、鼻も高い。
ジルベール・グロリオーサ・マーレイの端正な顔立ちには一寸の狂いもなかった。
部屋の窓を開け放っているせいか、皮膚にまとわりつくような生温い風が髪の上から額を撫ぜる。その自慢の髪の先を小さな指で弄ばれた――
肺あたりが、ずんと重苦しくなる。
鍛えてはいるものの、これもまた母親譲りの華奢な体は不意にのしかかる体重に呻き声が漏れた。この子の体温が高いせいで僕まで熱いじゃないか。しかし体の軽さや手のひらの大きさ、何もかもが遠い記憶とは違う。
「……クラーレット?」
目覚めの悪い朝だと目が瞼をこじ開ける。――黒い瞳と、ぶつかった。
「ジルっ、おきた?」
小さな顔に宝石が二つ埋め込まれている。彼女の双眸は、黒曜石を思わせた。
「あぁ、いま起きたね」
どこか掠れた声で返すと、瞳は瞬く間に輝きだした。
正しくは君に起こされたんだと言ったところで分からないに決まっている。薄く笑って、「退いてくれ」とばかりに引き剥がす。小さな体はベッドの上を素直に隣へ転がった。
幼い女の子と男。
そんな組み合わせは昔から映画か何かでいくつか知っていた。だが、僕は殺し屋ではなく、彼女は復讐を企む女の子でもない。更に言うともちろん僕は聖書を売りつける詐欺師でもなければ彼女は母親を交通事故で亡くした九歳の少女でもない。
特別結びつける何かや不幸に見舞われたわけでもないのだが、僕らは一緒にいることにしたのだ。
ベッドで仰向けになった頭の向こうで、部屋の時計は午後二時を指していた。じきにこのホテルも後にしなければならない。簡素な安宿で酷いもんだ、あちこちで埃が舞っている。浅い呼吸をしたジルベールは咳き込み、あらためて少女に声をかけた。
「もう時間だ。行くよ」
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