La Vie en rose - 薔薇色の人生 -

2/68
155人が本棚に入れています
本棚に追加
/184ページ
「美しい顔をしているのね」  ミラベラは、そんなふうに言った。  この町で殴られたジルベールの左目は腫れが引き、ある程度は普段と変わらず開くまでになっていた。  彼女に取られた眼帯を捨てる。まだ何となく瞼は重い。それに、いつも似た言葉で褒められる。しかしどれも彼が欲しいものではない。  僕を好きだと言ってくれないか。そんな高望みをするつもりもない。  単純に「私の好み」だと言ってほしかったし、自分も口にしてしまいたかったのが本音だ。だが、ベッドのなかのジルベールは睦言を控えていた。ことの成り行きからして、ふさわしくないと思ったからだ。  薄っぺらに受け取られるのは絶対に嫌だった。  青い瞳が潤んでいる。 ……何もかも、もう忘れられそうにない。  顔は火照って、唇は綻ぶ。決して喜べるような始まりかたではないが、それでも嬉しくて仕方がない。  いいんだ、分かってもらえなくたって。僕とミラベラの時間がどのようなものだったか、どれほど魅力的で素晴らしいものだったかはジルベール自身が知っていれば彼にはそれで十分なのだ。  だから母が言った、撮影を続けていた映画が白紙になったという話も「えっ、あぁ………そっか……うん」と上の空で聞いていた。  正直なところ、あの作品にも脚本家にもさほど未練はなく、同じ役を続投する気はさらさらなかった。 「――ジルベール? 聞いてる……?」 「うん。聞いてるよ、いろいろありがとう」  訝しげな顔をする母に、ふにゃふにゃと笑う。僕は誤魔化すときほど言葉を付け足してしまうらしい。……気をつけよう。  まさか「ごめん、聞いてなかった」だなんて言えるわけがないだろう?  リビングルームで母と向き合い、温かな湯気がたつ紅茶を口に運ぶ。  あっ、ミラベラが淹れてくれた紅茶だ。  そのことに気づくや否や「あっ」と声が出た。 「どうしたの?」 「少し、熱くて。火傷をしたかも」  自分の親に対していたいけな少年を真似る必要などなかった。しかしミラベラのことで口を滑らせるわけにはいかない。  多分もう末期だ。何をしても彼女を思い出す。
/184ページ

最初のコメントを投稿しよう!