155人が本棚に入れています
本棚に追加
/184ページ
「美しい顔をしているのね」
ミラベラは、そんなふうに言った。
この町で殴られたジルベールの左目は腫れが引き、ある程度は普段と変わらず開くまでになっていた。
彼女に取られた眼帯を捨てる。まだ何となく瞼は重い。それに、いつも似た言葉で褒められる。しかしどれも彼が欲しいものではない。
僕を好きだと言ってくれないか。そんな高望みをするつもりもない。
単純に「私の好み」だと言ってほしかったし、自分も口にしてしまいたかったのが本音だ。だが、ベッドのなかのジルベールは睦言を控えていた。ことの成り行きからして、ふさわしくないと思ったからだ。
薄っぺらに受け取られるのは絶対に嫌だった。
青い瞳が潤んでいる。
……何もかも、もう忘れられそうにない。
顔は火照って、唇は綻ぶ。決して喜べるような始まりかたではないが、それでも嬉しくて仕方がない。
いいんだ、分かってもらえなくたって。僕とミラベラの時間がどのようなものだったか、どれほど魅力的で素晴らしいものだったかはジルベール自身が知っていれば彼にはそれで十分なのだ。
だから母が言った、撮影を続けていた映画が白紙になったという話も「えっ、あぁ………そっか……うん」と上の空で聞いていた。
正直なところ、あの作品にも脚本家にもさほど未練はなく、同じ役を続投する気はさらさらなかった。
「――ジルベール? 聞いてる……?」
「うん。聞いてるよ、いろいろありがとう」
訝しげな顔をする母に、ふにゃふにゃと笑う。僕は誤魔化すときほど言葉を付け足してしまうらしい。……気をつけよう。
まさか「ごめん、聞いてなかった」だなんて言えるわけがないだろう?
リビングルームで母と向き合い、温かな湯気がたつ紅茶を口に運ぶ。
あっ、ミラベラが淹れてくれた紅茶だ。
そのことに気づくや否や「あっ」と声が出た。
「どうしたの?」
「少し、熱くて。火傷をしたかも」
自分の親に対していたいけな少年を真似る必要などなかった。しかしミラベラのことで口を滑らせるわけにはいかない。
多分もう末期だ。何をしても彼女を思い出す。
最初のコメントを投稿しよう!