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「あ、ごめんなさい」
目を覚まして慌てて落とされたけれど、こっちとしてはもう声を出すのも億劫で、軽く会釈して「いいえ別に」を表した。すると、相手のふわふわ頭も小さく揺れる。頭が揺れるとまたいい匂い。女子みたいなやつ。香水じゃなく、もしかしてシャンプーの香りだろうか。オレの苦手などぎつい感じがしない。
停車前、速度が緩やかになりだした頃合いで、居眠り男改め稲ムリオはスッと立ち上がり、ドア前にスタンバイした。なにげなく彼の背中を目で追っていると、膝の上に抱えたバッグが微かに振動するのがわかった。
すぐに静かになったのでメールのようだ。バッグから時代遅れのケータイを取り出そうとして、オレの左手はハタと止まる。
あれ、ケータイ、ふたつある。
同じ機種の同じ色をしたケータイが、なぜか鞄のなかにふたつ。ひとつは見慣れたケータイポーチと地味ストラップからして、オレのに違いない。もうひとつは裸で、いい色に馴染んだ革のストラップがついている。革の。……革の?
ハッとして顔をあげたと同時に、いつの間にか開いている電車のドアから稲ムリオの背中が外の世界へと飛びだしていく。まずい!
「あ、あのっ、これっ……」
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