猿谷さん

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 近藤も教育の一貫として鵺村を工場に行かせる機会を伺っていたので、鵺村の一ヶ月工場行きは、そのような過程で決まった。 「明日から?ですか?」  数週間の帰社後の予定をすべて壊された鵺村の胸に、突然の辞令への怒りと戸惑いと、それを押し殺そうとする感情が湧き上がってきたので、奥歯を食い縛り、目の潤みを抑えるために変な顔になった。  結局、三週間の研修に対して人事部ですぐには手配ができず、鵺村が出張するまでに二週間の猶予が与えられた。分析表の原本は、工場側からはメールでコピーの受け取りはしていたので、原本の提出は理由を申し出て、後日ということでなんとか了承を得た。 「在庫の棚卸ってこの紙持ってけばいいんすか」  鵺村はパソコン上の社内フォルダからそれらしき在庫管理のフォーマットをプリントアウトして、皆本に確認した。鵺村の研修中に、ちょうど工場にある在庫を保管している倉庫の、棚卸があるという。在庫の実数とデータ上の数字の確認だ。 「お、それそれ。ちょっと古いヤツだけど、みんな使ってるからそれでいいぞ」  皆本はそう言って、書類に書かれた項目を一つ一つ、持っていたボールペンで確認してくれる。 「商品名だろ、個数に単価だろ、あれ?仕入日と出庫日が抜けてるな」  皆本は「これじゃないわ」と言って、自分のパソコンに向き合い、フォルダの中を探し始めた。 「今プリントアウトしたから。コピーして三十枚くらい持ってけば足りるだろ。書いてある項目に現場で数字書き込めばいいから」 「あざっす」 「工場に虎田って棚卸マイスターがいるから、そいつに訊けよ」  面倒見の良い先輩のアドバイスを背中に聞きながら、鵺村は足早にプリンターへと向かった。    鵺村は不在の間の簡単な仕事の引き継ぎを、女子社員に説明して、自分の仕事を再開した。来週から自宅から二時間ほどかかる工場に通わなくてはならない。その前に友人と飲みに行こうと思っていた鵺村のパソコンに同僚から社内メールが入った。‘今夜、飲みに行きませんか?’それは同時期に入ったという他部署の鳥谷雷太からのメールだった。
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