第1章

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 やはりそうか。道理で何度問いかけても答えてくれなかったはずだ。あれは妹の死という記憶を呼び覚まさないための優しさだったのだ。でも、辛いと言うことなら母だって同じはず。娘が死んだのだ。だから…… 「ねぇ。H県に引っ越したのも、もしかしたら妹が死んだことと?」 「そうね。誰も、何も、全く知らない土地で暮らしたかったのよ」  長い間ここに帰ってこなかったのも、それが理由だろうか。ここには、エミの思い出が多すぎるから。  二人ともコーヒーには口をつけなかった。ただ氷だけが融けて表面に水の層ができている。はぁと母がため息をついた。 「さ、そろそろ行きましょうか。勝彦が待ってるだろうから」  伝票を手に母は立ち上がった。そのあとに私も続く。 「ねぇ。妹……。エミってどんな子だったの?」  コーヒー代を支払いながら母は私を一瞥する。 「いいでしょ、もう。お母さんだって、あまり思い出したくないの」  その顔は、苦しそうに歪んでいた。  店を出ると母はタクシーを呼び止めた。先に乗り込んで手招きする彼女に、 「私、叔父さんの家には行かない。ホテルに戻るわ。何かあったら電話して」  それだけ言って自分からドアを閉めた。何か言いたげな母を乗せ、タクシーは走り去った。  ああは言ったけど、私はその足で市役所へ向かうことにした。妹がいたと告げられて、さらにはその子が亡くなっていたと教えられ、一応はその事情を納得したつもりだった。でも、確かな証拠が欲しい。私が忘れてしまっていた、エミと言う名の女の子が存在した証拠が。それなら戸籍謄本を見るのが一番手っ取り早いと考えたのだ。H県へ引っ越しはしたものの、幸い本籍はここS県のままだ。  役所仕事は時間がかかるものと覚悟していたが、案外すんなりとことは進んだ。書類を書いて窓口に提出し、所定の料金を支払い、ほどなくそれは手に入った。  それに目を通してまず驚いたのは、母が再婚だったと言うことだ。今の時代ならまあ珍しくもないことだ。ただ妹の一件があったのでまた隠し事をされていたことに対する腹立たしさは覚えた。しかしそんなことよりも、私を愕然とさせる事実がその先に記載されていた。父の籍に入る際、母には連れ子がいたのだ。名前はミサキ。つまり私だ。今の父は血のつながった親ではなかったのだ。
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