あの惰弱を笑え

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 落ちぶれた男が一人死んだだけで世界は何も変わらない。倉本は何処かで足尾が死んだことも知らずに楽しくやっている。みんな何も知らない。泡になってゆく誰かも、ゴミになったあいつも、誰も知らない。穏やかに流れる川に月が映った。それがあんまりにも綺麗だから、俺はむせてないのに、泣きたくなった。足尾の冷たくて重い体を抱えているときだって泣かなかったのに。肺の中に足尾の香りが残っている。肺に足尾が生きている。もうあと数時間で浄化されて消える、儚い奴のカゲ。  夜の美しさに感化されて胸が締め付けられている自分はなんとセンチメンタルで女々しいのだろう。然に笑ってしまうが、だけど、女々しさで言えばあいつだって負けてない。倉本に見破られていた通り、所詮足尾はアンデルセンに「違和感を感じる」けど「分からない」わけではない、女々しさをもった男だったのだ。俺もあいつも同じだった。だけど、あの男は酷く弱い人間で、それ以上に俺はもっと弱い人間だ。自分が弱くて、笑えてくる。明日もまた、足尾と再会する前のまともな生活を繰り返す。  足元の吸い殻の葉が風に舞って、海の中に沈む生き物の吐く泡のように空に昇った。浮かぶ月が歪んで見えるから、ここは深海のようだと、一人で笑った。
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