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2 「あなた、明日十一時から六一五号の中村さんの葬儀なんだけれど」  と言いかけてすぐ私の表情から何を察したのか、妻は「いいわ、ひとりで行く。あなたは顔も知らないでしょうから」と続け、掃除機をかけ出した。大林氏の葬儀から半年、妻から葬儀出席を打診されたのは三回目だ。故人はすべて五〇代の男性。続きすぎ嫌になってきたこともあるが、大林氏の葬儀で見せた妻やほかの女性列席者の態度が薄気味悪すぎ、あれこれ理由をつけて葬儀出席を断り続けている。一度目は「役員が葬儀に出席しないなんて」とグチグチ言われたが、三度目となるともう説得は諦めたらしい。なんとなく居づらくなって、掃除機をかける妻の後ろ姿に、すまんなとつぶやいて外へ出た。 今日は土曜日。十一月の空は抜けるように青い。風は少々冷たいが近所をひと廻りしてこよう、と一階に下りたところで「下田さん」と声をかけられた。中庭のベンチで見覚えのある同じ年ごろの男性が手招きしている。誰だろうと思いつつも会釈をして近寄れば、自分から「七〇三号の佐藤です。役員の引継ぎの際に挨拶しましたが、覚えておられませんか?」とあいさつしてくれた。 「いやあ、すいません。すっかり物覚えが悪くなりまして」  あたまをかきながら、佐藤の隣に腰を下ろす。 「あれでしょう、奥さんがすべてやってくれるだろうと思って引継ぎ会は上の空だったんでしょう」  図星をつかれ、私は苦笑を返すしかなかった。 「いや、分かりますよ。私たちは家の中や子どものことは妻に任せるのが当たり前、と思ってきましたからね。私も役員活動なんてほとんどしていませんでしたよ。常に仕事第一。家には寝に帰るだけ。あなたもそうでしょう?」 「ええ、まあ」  これもその通りだった。このマンションを購入したのは一九九〇年代半ばのこと。すでに好景気はその名残すら消え去り、しかし、その時に培われた習慣は「常識」としてしっかりと私たちの人生を支配していた。就職したら結婚しろ、子どもを作れ、そして、マイホームを買うんだ。収入なんて関係ない。それが、当たり前なんだから。逆らう勇気はなかった。三〇年を超えるローンを抱え、リストラの影におびえながら、ひたすら働くだけの日々。 気がついたら子どもは家を出て碌に帰ってこなくなり、妻との会話はほとんどなくなっていた。なぜ、大林氏の葬儀であんなに笑ったのかを尋ねることもできないくらい。
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