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 魔女様は臆病だった。元からそうだったのかもしれないが、より強固になったその原因となったものを私はよく知っている。  三年前のあの夜。魔女様に会いに来た私たちは、幻惑の魔法こそ潜り抜けたものの、その先にいるものに手酷くやられてしまったのだ。  そいつは、夜闇の中に浮かび上がってそそり立ち、月の光を浴びて歓喜に震えていた。私たち親子が来る前に犠牲になった鹿の死体。それを貪り、血と臓物を当たりに撒き散らしていた。  なんの形をしていただろう。巨人だったろうか。蠢く虫の大群だったろうか。うねる無数の触手のようにも見えた。とにかくそれは、この森にある夜の底からわいたような、実体の曖昧な災いのようなものに見えた。 「なにをしている! 逃げろ!」  叫び声がする。影の向こうに人がいた。魔女様だ。その影は彼女には目もくれず、私たちのほうへとのしかかってきた。牙が見えた。爪が見えた。そして、影の中にできた裂け目の中に、奈落のような瞳が見えた。  その後なにが起こったのかはよく憶えていない。ただ、母親にかばわれたらしいということ。その母親は跡形もなく喰われてしまったこと。魔女様が私のことを、泣きながら必死に助けてくれたこと。分かるのはそれくらいだ。  後々になって分かったのは、あの巨大なおぞましい影が、魔女様に由来するものであるということだ。考えてみれば使い魔たちにどこか似ている。でも、人を傷つけることを極端に嫌う彼女は、意図的にあんな恐ろしいものを森に放つわけがなかった。あれは言わば、彼女自身の奥底に生来から潜む災いそのもので、彼女自身にはどうしようもない、夜の生み出す暗黒そのものなのだ。  魔女様は人と会うことを極端に避けるようになり、夜の中へと自分を閉じ込めた。村人たちはすべての事情を私から聞き、悲しそうにはしたものの、魔女様を責めようとする者はひとりもおらず、ただその状況を受け入れようと努めた。  彼女は生まれながらにして森と共にあった。血肉は森から、魂は夜から授かって生まれたのだという。恩恵と共に災いをもたらすもので、村落の住民たちはそれを受け入れていたのだ。  だが、彼女は違った。自分自身に由来する災いを許せなかったのだ。彼女は森の支配者のようでいて、森に支配された者でもあった。
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