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魔法といえば、彼女が重要視していることがひとつだけあった。森にかけてある人を幻惑する魔法がきちんと働いているかを確かめ、危うければそれを直す作業だ。決まった樹木や岩などに呪文を円状に書き綴った紋があり、それらをひとつひとつ調べていく。
「様子がおかしい」
巨木のうろの中を覗き込んで、彼女はそうつぶやいた。
「紋を削ったような跡がある」
「獣では?」
「いや、爪というよりは刃物のようだ。……まさか」
彼女は使い魔に命じて森の中を調べさせ、彼女自身も巨木の周辺を探り始めた。彼女のそばに浮かぶ人魂が光度を増し、地面を明るく照らす。ほどなくして、彼女はあるものを見つけて真剣な眼差しを私に向けた。
「見ろ」
促されて彼女の示す地面に近づくと、小さな人間の足跡がついているのがすぐに分かった。
「子供が森に入り込んだ」
彼女は立ち上がると、首にさげていた小瓶から灰を少しだけ手のひらに移した。自分の指先を噛んで皮膚をやぶると、灰の上に一滴垂らしてから小さく呪文を唱える。そして口笛と共に息を吹いて、灰をゆっくりと吹き飛ばした。
すると、そこかしこに広がる夜の闇の中から、大勢の影が這い出てきた。姿形は様々で、例のコウモリのような姿のものもいれば、手足が異様に長い人型のもの、大蛇のようなものなど、一様に不気味などす黒い姿であった。
「この足跡の主を探せ。手は出すな。見つけたらすぐに私に教えるんだ。もしその子が危険な目に遭っていたら、守ってやれ」
影たちは足跡を覗き込み、匂いを嗅ぎ、触れようと手を伸ばしていたが、すぐに各々のやり方で行方を探るべく森の中に散っていった。
「心当たりはないか」
彼女が私に問いかけた。私は、懐から取り出したハンカチを彼女の指に当てながら、首を横に振る。
「それらしい話は聞いていません。そもそも子供たちは森の幻影を怖がっているから、こんな深くまで入ってくることはありませんし」
「あの足跡は子供以外にないだろう」
「村でなにかあったのでしょうか……」
「さあな。私たちは足跡をできるだけ追おう。お前は周囲をよく見回してくれ。手がかりがあるかもしれん」
言って彼女は、私のほうに新しく人魂をひとつ灯してくれた。私の手や目の動きに反応し、的確に見たい場所を照らしてくれる。
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