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信越地方の山間にある『野指村』が、今回の取材地だった。
僅か人口数百人の辺境。『咒隠し』などという禍々しい噂を耳にすることが無ければ、一生訪れる機会などなかっただろう。
車一台通るのがやっとの山道で何度もハンドルを切り返す私を見て、助手席の坂居が言う。
「運転、代わりましょうか」
「気にするな」
ギアを切り替えようとした瞬間、突然真っ黒い鳥が目の前を横切る。思わず踏み込んだブレーキに大きく車体が揺れ、坂居が慌てて車内のグリップに掴まる。
「まあ、ゆっくり行きましょう。あそこに退避帯があるから、一度休憩しませんか」
「……ああ」
道を覆う枯葉をタイヤで踏み鳴らしながら、車を停める。
助手席から出た坂居は、茶褐色に色づいた山並みに向けて早速一眼レフカメラを構え始める。
「こいつは、中々だ」
車から降りてみると、崖側は見下ろすほどの急斜面になっていて、雑木林が鬱蒼と生い茂っていた。ガードレールもない山道をよくここまで無事にやって来られたものだと思う。
「なあに、そうそう落っこちるもんでもありませんて」
坂居は気軽に言うと、軽快な足取りで山を登り始める。
「おい、あまり時間がないぞ」
「分かってますって。もう少し上がれば、良いアングルで一帯が見渡せそうなんで」
斜面に膝をついた坂居が、カメラのファインダーを覗き込みながら答える。
「吸い終わるまでに戻ってこいよ」
私は近くの倒木に腰を下ろし、煙草に火をつける。煙をひとつ吐き出した後、足元に落ちていた団栗を拾い上げて指先で転がしてみる。
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