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紅緒を失った私は、真っ白な霧の包む峡谷を当て所なく彷徨い続けた。
何時間、いや、何日が経ったのかも分からない。
野指村に関わった人たちの死を目の当たりにしても、私は誰ひとり救うことが出来なかった。
ぼんやりと霞む空を見上げる。
濃い霧に覆われた千咒峡には陽の光さえも届かず、今が昼か夜なのかも分からなかった。目の前に広がるのは、見渡す限り白い靄の覆う幻のような世界だった。
「……」
冷たい汗が背中を伝う。ひどく喉が渇いていた。
ただ迷宮のように変わりのない風景だけが、私をさらに深い霧の中に誘っていく。
崖から足を踏み外しそうになり、慌てて腰をつく。眼下の深い峡谷にぱらぱらと落ちていく石の欠片を見つめ、激しく頭を振る。
「しっかりしろ。俺はまだ……生きてるんだ」
地面の乾いた砂を手ですくって顔に押し付ける。ざらついた粒子の感覚で、微かに神経が呼び起こされた気がした。
土埃に塗れた顔を上げると、白く霞んだ道の先に何かが見える。
「あれ……は」
立ち上がり、ゆっくりと近付いていく。
それは、岩肌にもたれ掛かるように座る白骨死体だった。シャツと黒いズボンを身に着けたその死体は、頭蓋骨をうなだれた状態で息絶えていた。
その様子を調べてみると、骨だけになった手が何かを握り締めていることに気付く。
死体の指を開いて、それを取り出す。
プラスチックの黒くコーティングされた胴軸に、消えかけた大学卒業記念の文字。
それは、乾が借りていった私の万年筆だった。
「い……乾」
乾ききった亡骸と向き合ったまま、がくりと膝をつく。
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