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私は今、薄暗い病院の個室で、この手記を書いている。
野指村は十年ほど前に廃村になり、今は誰も住んでいない。村の跡には崩れかけた廃屋が数軒残っているだけだという。
白骨化した乾の死体は発見されたが、カメラマンの坂居は未だに見つかっていない。
そして私は、現実の時間で一年間もあの千咒峡を彷徨っていたことになる。壊れた腕時計の針は、私が経験したあの日から止まったままだ。
首すじを触ると、そこには赤い線の痣が残っている。
それが紅緒の言った千咒峡の咒いなのか、本当の咒隠しだったのか、私には分からない。
ただ間違いなく言えるのは、あの場所を訪れた人間が、祟りに似た不可解な失踪を遂げたということだけだ。
乾の残してくれたこの万年筆で、今も私は書き続けている。
卓上スタンドの光だけが照らす病室で、ふと辺りを見渡す。
目覚めてから、ずっとその視線を感じている。
暗闇の中、影に潜んで私のことを見つめている彼女の視線を。
私は思う。
自分だけが生還できたのは、きっと何かの意味があるのだろう、と。
あの咒われた土地のことを伝え続けるための語り部として、野晒しにされた村のことを世に知らしめるための生きた人柱として、
彼女……紅緋は、私をこの世界に戻したのだ。
この手記を読んで信じるかどうかは、あなた自身に委ねられている。
だが、私は確かに感じている。
あの忘れ去られた場所で、地図にないあの場所で――、
咒いは、まだ続いている。
(終)
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