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理由はそれだけではない。
神野喜一郎の求めることは、明日人の親が国内に不在である故、
『織倉明日人と生活を伴にして診てやってほしい』
という、常軌を逸したものでもあったからだ。
いくら神野会長の依頼でもやはり茉瀬としては否であった。
数は少ないものの、現在、未犯段階の特殊なクライアントも抱えているところだ。
何より特別地位もない一青年の専門医として、必要も無いのに生活を伴にする気など微塵もない。
しかしその辺りの本音は隠さなければならない茉瀬が多忙を理由として丁重に断ると、神野 喜一郎は同じ研究室の輩に手を回し、彼が持つ患者を強引かつ迅速に別の著名な医師へと引き継がせてしまった。
夏目からの伝言によると成功報酬は現在の年棒を遥かに上回る金額。
そして更なる地位の向上。
おまけに研究費の増額、寄附金まで確約されるという。
後輩研究員の育成費に困窮している室としては茉瀬の返答に皆が関心を寄せ始めていた。
ここまで来ると茉瀬に逃げ道は無いも同然だったが、人に頼る出世は茉瀬の矜持に関わることでもあり、一応の抗議はしておかなければと神野のもとを訪れた。
自分よりも一回り大きな体格を持つ茉瀬を前にし、ビル王は悪戯っぽく詫びの言葉を口にしつつも、
『経験豊富なその腕で私の大切なコレクションを取り戻してくれ。
彼を潰さなければ何をしても構わん。
頼んだぞ茉瀬』
と、蓋をするように命じたのだった。
何とも手早い業であったにも関わらず、世界を股に掛けるビル王は時間に対する感覚が違うのだろう。
明日人と引き合わされた際、神野は青年に向かって、『時間と手間をかけた』とあたかも徒労であったかのようなセリフを口にしたりするのだ。
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