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その日の午後は織倉明日人の為に研究室の予約をし、自宅マンションに戻って長期滞在の準備を始めた。
その間も茉瀬の脳裏には何故か、料亭で見た青年の特異性が頻繁に過る。
背後に座る茉瀬を一瞥もせず、神野喜一郎に促されてやっと振り向いた織倉 明日人の視線は、まるで置き物でも眺めるように冷たいものだった。
かの青年には若者らしい未熟さや、年相応にあるべき隙がなかった。
髪の一本も揺らさないほど微動だにせず、時折発する声のトーンに感情は無い。
恐らくは何某かの武術を相当年数嗜んできたのだろうと茉瀬は予想した。
武の道で培った静寂。
そこへもって『美形』などという平凡な言い回しでは足りない面構えが据わっているのだから、強く印象に残るのは当然かも知れないが。
「『朧月』とはね。
ふっ、、、言い得て妙だな」
そもそも茉瀬にとって、いや多くの者にとって神野自身が『美しい闇』のような存在である。
彼の孫、神野 雅という青年に会ったことはないが、噂では人形のような人間離れした容姿だと言うし、神野家に仕える夏目などは彼の周囲から『貴人』の異名を得るほど涼やかで繊細な、それでいて聡明な顔立ちを持っている。
少なくとも神野 喜一郎の愛(茉瀬の場合寵愛ではなく、あくまで加護愛なのだが)を受けてきた身としては『選ばれた者』として有り難く思うものの、同時に周囲からは夏目や明日人と同じ評価、印象を持たれていることを複雑に思わなければならなかった。
神野のコレクションの一人 ───
自分を『フォレストキャット』と呼んだ壮年のビル王を思い出しながら首を振り、茉瀬は旅行鞄に放り込むはずの常備薬を手にすると、ピルケースから錠剤を2つ取り出し口に含んだ。
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