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午後八時五十五分。
私は大学のサークル帰りで、最近ようやく住み慣れてきたアパートにあと少しで着くというところを歩いていた。
東京の家路は明るい。
地元の夕べといえば、ぽつぽつと橙色の家々の灯が、周りに棲みつく自然の濃い闇に吸い込まれていくような様子で、仮にその辺を人が歩いていたとしても、よく目を凝らしてでもいない限り、気がつかない。
けれども、木々の代わりに乱立する街灯の煌々とした光、それに照らし出される感覚は、どうもスポットライトを浴びているような、他者という存在に慣れきった東京人の、それを見据える冷たい目線に晒されているような居心地の悪さに、夜道は猫背気味にそそくさと歩いていた。
「ほっといてよ」という気持ちと、「独りにしないで」という気持ちが混濁して、無性に地元の青っぽい匂いが恋しくなって、少し泣いた夜もあった。
大学二年生。
友達も出来て、サークルという居場所も確保して、この狭くてだだっ広い都会でそれなりに一年過ごして、代わり映えのしないルーティンな日常を手に入れた。
するとどうだろう。
去年は草木の匂いを求めて今にも泣きそうな、みじめな地方出身者だった私が気づけなかった、香り高い花の芳香に気づけるというわけ。
どれだけ去年は余裕がなかったんだと、小さく苦笑しながら、発信源を探してキョロキョロと見回す。
アパートの近所の公園の植え込みにたわわに咲く小さな白い花々だった。
星のような五つの花弁が、街灯の光を純白に照り返していた。
「そうだよ」
私は心の中で呟く。
「これだけ清らかで、綺麗なら、いつ照らし出されても、恥ずかしくないんだろうね」
上京して、大学に入って感じたのは、「ここでは何も与えられないのだ」ということだった。
そう、少なくとも私のようなぼんやりとした女には。
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