街灯の下、午後九時の早鐘

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結局よく眠れなかったこともあり、日中は気もそぞろ。 やっと帰れるとなると、時計ばかりを見てしまう。 最寄りでICカードを押し付ける手が震えて、恥ずかしさに頬が上気した。 ひんやりとした夜風が撫でれば、その熱を対照的に感じてしまった。 馬鹿みたい、保証なんてどこにもないのに。 花の芳香を感じられる距離になると、何の意味もなくスマホをチェック。 まるで試験前のような落ち着きのなさ。 脚を震わせながら、歩いて近づくと、 「お、やっぱり来た」 「き、来たんじゃなくて!帰り道だから!」 彼はやっぱりそこにいて、おんなじ銘柄のアイスを持っていた。 「アンタこそ、毎日ここにいるの」 「晴れてたらね」 「家、この辺なの」 「ん」 何でくだらない質問しか思いつかないんだろう。 その時、夜風が、ふわっと彼の前髪を吹き上げた。 花の匂いが吹きやられて、彼と私の間の障壁が取り除かれる。 私の顔が、硝子玉のような彼の眼に映し出され、まるで全てを見透かされた心地がした。 私が黙った途端に、沈黙になるこの感じ、それは、いつものこと。 私が相手に興味があっても、相手が私に興味がないから。 「……こっち来れば?」 「え、うん」 卑屈な思考に対して正反対の反応が返って来たので、面食らいながら受動的に従い、入り口を抜けて、彼の前に立ち尽くす。 「座んないの?」 辺りを見回すけど、彼が座っているベンチ以外に座れそうな場所はない。 「……どこに?」 彼はバニラアイスを舌で溶かしながら、ハァ、と溜息をつくと、 「あんたって見れば見るほど、」 「なに」 「呆れる程不細工で、ほっとけないのさ」 す、と心が冷える音がした。 アンタになにが分かるのよなんて吐き捨てて、その場から駆け出す。 そんな芸当、小説の主人公みたいに出来ない。 ただ、みじめだけれど、縋るしかなかった。 「……じゃあ、ほっとかないで」 枯れた花が擦り合わされたような、酷く掠れた声。 「アイス、食べるか?」 「食べない」 ここ座れと隣を叩かれ、座ると、もう一つアイスを差し出された。 「いいから食えって。美味いし」 そのアイスは未開封だった。 「何で」 「二つ、食べようと思ったんだよ」 悲しくなる程優しい嘘を、スプーンで一口掬って食べる。 「美味しい」 「素直でよろしい」 こうして、私と彼の、形容しがたい謎の関係が始まった。
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