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そして中等部生活も残りわずかな頃。
いつものように帰宅した伊織を待ち受けていた継母の心ない悪言で、最後のひとかけらとしてつなぎとめられていた伊織の心は打ち砕かれてしまったのです。
「春日部を継ぐのは正統な後継者である将臣です。すでに死んでフランスに返品された不出来な妻の成れの果てが産んだ孤児のあなたには、家督も財産も受ける権利は一切ないと思いなさい。
ですがそれでも夫の血は引いているのも事実、切り捨てるわけにもいきません。今後は将臣の邪魔にならないように努め、いつか春日部の有利となる婚姻で役に立ってもらいます」
エントランスで立ち尽くす伊織に告げ、最後に継母は「あなたの顔を見ていると胸がむかむかしてくるわ。そのいやらしい顔、無能なおまえの母とそっくりよ」と吐き捨てたのです。
奈落の底につき落とされた感覚というのを肌で味わった伊織。それから自分がどう行動したのか記憶になく、つぎに気づけば自室のベッドで横になっていました。
絶望という二文字しかなく、息をすることさえ辛くて仕方ありません。どうして僕はここまで恨まれなくてはいけないのかと、九年まえ母の墓石で涙を埋葬して以来の涙がこぼれたのです。
つぎの日から伊織は変わりました。
もうなにを言われても心に届くことはなく、継母の罵詈雑言も父親の冷徹な眼さえ気にならなくなりました。心を閉ざしたというよりも、むしろ心が死んでしまったと表現するのが正しい。
以後、中等部を卒業する日まで、伊織が邸に戻ることはなかったのです。
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