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僕にとっての世界
遠い過去のこと。
優しい母親と天使のように愛らしい少年がおりました。毎日のように少年は母親に本を読んでとせがみ、母親は鈴の音のように美しい声音で物語を読んであげるのでした。
翡翠ヶ丘という地にとても大きな病院があって、その病院には花も恥じらうほどに美しい院長夫人がおりました。ですが夫人は元々身体が丈夫ではなくて、ベッドで過ごす日も少なくはなかったのです。
夫人の名前は詩音。彼女をひと目でも見た者は心を奪われずにはいられません。それほどに美しく王宮に咲き誇る薔薇のような存在は院長の宝であり、いつしか誰の目にも触れさせたくはないと思うようになりました。
そこで院長は壮大な敷地に立つ本邸から離れた場所に別邸を建て、天使の住まう宮殿”パレ・アンジュ”と名づけ彼女に与え住まわせます。
邸には男性のすがたはなく、詩音の世話をするのはみな女性。まるでハレムのような住まいに立ち入ることのできる唯一の男性は春日部院長のみ。
外出も儘ならない窮屈な生活でしたが、それでも身の回りは豊にしてくれたおかげで、詩音は庭を散歩したり読み切れないほどの蔵書から一冊を選び、空想に浸ることができました。
いつしかお腹に宿した命は男の子で、きずなを織る神聖な子であるよう伊織と名づけられました。母親に似て愛らしく美しい子は、六歳になるまでパレ・アンジュで大切に育てられます。
院長も息子であり嫡男の伊織を可愛がりましたが、けれども自分以外の男が邸で暮らし詩音に甘える様子は面白くありません。
我が子でありながら同じ男でもある。しかしながら跡取り息子であるのも事実。ライバル心というのは簡単には拭えません。それは少しずつ院長の心に蓄積され、いつの日か崩壊してしまう日が来るのです。
ですがそれはまた別のお話──────
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