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優介と楓を乗せた自転車は、坂道を下る。
夜の道は暗く視界は悪いが、街灯の明かりが道しるべとなっていた。辺りが住宅街ということもあり、人や車の通りはない。涼しい夜風が通り抜け、寄り添う体はとても暖かく思えた。車輪が回る音とペダルの音が絶え間なく聞こえ、震動が体を揺らす。
「少し遠いから、ちょっと待ってろよ」
優介は前を見たまま、楓に告げた。
「う、うん……。大丈夫?」
「ああ。平気平気」
楓は後ろから彼をじっと見つめる。彼の背中はとても大きく、額を添わせた。
「なあ楓、景色、見てみろよ」
「景色……?」
楓は、目の前の景色に目をやる。
道路の側面から見下ろす街並みには鮮やかな夜景が広がり、遠くでは電車のライトが真横に動いていた。街に宿る光の群集は微かに揺れ、その向こう側の空には星々が煌めく。
その光景に、楓は優しく微笑んだ。
「……綺麗」
「だろ? これが見られただけでも、来て正解だったろ?」
自慢げに語る優介に、楓は声をかけた。
「……優介くん。私、こんな景色見たの、初めて……」
「そりゃそうだろ。お前はいっつも家の中にいるからな」
「うん。でも、こんなに綺麗なものを見たの、本当に初めて……初めてなんだ……」
「……そっか。良かったじゃん」
「うん、本当に良かった。凄く嬉しいよ。嬉しい……」
そう繰り返す楓は、より深く優介の体に腕を回す。横顔で彼の背中にそっと触れ、彼の鼓動の音と温もりを感じていた。
優介は照れ臭くなり、楓に話しかけることも顔を見ることもせず、自転車を漕ぎ続ける。
やがて辺りに、潮の香りが漂ってきた。
海までは、もう間もなくだろう。
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