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彼女は目をすがめて俺を見上げると、ハッとして顔をそらせた。
誰も訪れない店内。カウンターの奥で、バーテンが物憂げにグラスを磨いているのだけが唯一の動きだ。静かにジャズのメロディーが流れていた。
俺たちは言葉もなく時を過ごした。
会わなかった歳月が埋まってゆく。
「あのな……」
「……」
美菜はじっと俯いたままだ。
「俺、ずっと昔から美菜のことが好きだった」
美菜の肩がピクリと動く。
「今でも好きだ」
美菜は顔をあげてひたと俺を見据えると、改めて気の強そうな口元をキッと結ぶ。そして何かを言いかけて口を開き、そのまま止まった。
やがて、美菜はまた俺から目を背け
「あたしもよ……」
と掠れた声で言った。
「ウソばっかり」
俺の言葉に、美菜の口の端が少しだけ緩むのが見えた。
その日は美菜の三十歳の誕生日だった。
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