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 『父ちゃん』という言葉を覚えさせたのは宗像だ。彼女が嫌ったために大っぴらに教えることはできなかったが、あつしとふたりきりの際には必ずそう呼ばせてきた。  『男同士の秘密』  その響きは、母親よりもつながりの薄い父と息子の強力な絆になる。いつ覚えたのかしら、などと首を傾げているが、内心では気づいているはずだ。彼女の目がそのことを伝えている。香苗の前でその言葉を使ったということは、あつしにとって宗像に対する最大級の礼の表現だ。 「さあ、食事にしましょ」  テーブルには子供の好きそうな油っこいおかずが並んでいた。見ているだけで胃がもたれそうだ。宗像の前にだけ里芋の煮っころがしやら、ほうれん草のお浸しやらが集められている。香苗の心遣いがありがたい。あつしは誕生日プレゼントを大事げにふたたび箱に収めると、怒鳴られないうちに素早く椅子に座った。 「ケーキは」 「テーブルのうえを全部食べてから」  ふたりのやりとりを眺めていると、宗像は自然に目もとが緩んでいることに気がついた。自分がいないときにも、ふたりはこういった流れを作りだしているのだろう。日々は他愛のない場面の連なりで延々とつづいていく。日常を守るためにならどんな苦労も厭うはずがない。     
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