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現場には父親の佐々木秀一がひとり住んでいた。家の前でどう切りだすべきかと頭を巡らせていると、無精ひげを生やした男が出てきた。一瞬、男は驚いた表情を見せたが、すぐに猜疑の強いまなざしを前田にむけ、ふたたび無言で家のなかに入ろうとした。
「日売新聞の前田と言います」
呼び止めて名刺を渡す。ああ、と意外なほどすんなりとなかへ通してくれた。
礼をいいつつ家内を見て歩く。母親が倒れていたとされる台所は、床や壁、天井にいたるまで黒く染まり、血しぶきの激しさを物語っている。容疑者とおぼしき長男の座っていた居間では、血だまりの痕跡が生々しく畳に染みていた。柱、襖、扉。家のあちらこちらに刃物で切りつけた跡が点在している。そのどれにも血液が飛び散り、斑の模様を残していた。顔を背けたくなるほどの凄惨さは、なかなか目にできない場面だった。
ひととおりカメラに収め終えるころ、秀一は、お茶を出すから、と前田を呼びとめた。話を聞く機会を相手側から作ってくれたことを幸運に感じながら、前田は喜びを隠して申し出に応じた。
秀一は、日々を淡々と過ごすことを第一としていた。冒険することもなく、ただ、平坦な道を進んでいきたい。何もないことが幸せなのだと、ひたすらに無難な道を選んで歩いてきた。家族を守るために派手さは必要ない。こつこつまじめに働くことが幸せへの近道だと信じていたし、どんなに馬鹿にされようともそうすることが最も難しいことだとも確信していた。
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