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冬の始まりを感じさせない青すぎる空の下で、全ての物質が輝きに満ちていた。人間とは違う猫特有の光の感度がそう感じさえるのだろうか。希望が光で比喩される理由が猫の視界ではっきり分かったのが嬉しかった。
「おいおい、そんなり急がなくっても、ゆっくり行こうよ」
僕は全力疾走するトロに呼び掛けた。
「あんたが嬉しかったら、おいらも嬉しいんだよ。だから走らずにはいられないんだよ」
トロはそう言いながら朝の街を駆け抜けて行った。
その跳ねるような疾走に僕の心も軽やかに続いた。
「おっと。人間が止まっている姿の光ってる絵は、渡っちゃいけないってことだったよな」
トロは国道の前で急ブレーキを掛けて、内なる僕に訊いた。
「うん。そうだよ。もうすぐすると歩いている絵に変わるから、そしたら渡れるから」
僕は答えた。
「信号なかなか変わらないわね」
轟々と流れる凶暴な大型車の巻き上げる土埃に煽られながらシロシャンは言った。
程なく車列が途切れ、「止まれ」は「歩け」に変わった。
トロは悠々と横断歩道を歩き始めた。
突然、強烈な衝撃を感じた。
次の瞬間、僕は空にいた。
青すぎる空の中に。
見下ろすと、大きなタイヤに巻き込まれ、分断され、無残に潰れたトロの姿があった。そのパースペクティブの果てに信号無視したトラックが消え去ろうとしていた。ブレーキを踏んだ痕跡はなかった。あるのはトロの血の筋だけだった。
「おいら、ちゃんと信号を守ったのになあ……」
どこかから耳鳴りが聴こえた。
その方向を見やると蜃気楼が道路の染みの中に収束しようとしていた。
「またお別れなのね。紳士たち……」
彼方の白い耳鳴りは、同じ色の雲の中に消えようとしていた。
僕は抗おうにも完全に世界との繋がりを失っていた。掴むものは何もなかった。
そして僕も青すぎる空の中に消える蜃気楼になった。
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