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「君らは言葉を捨てたのになぜ語っているの?」
「僕は何も語ってなんかいないよ。僕らは待ち時間にハミングしているだけだよ。これは僕らが母親の心臓の鼓に合わせ奏でている気楽な鼻歌だよ。君は僕らのハミング聴いて言葉を感じているだけなのさ」
「母親? ハミング?」
「歌の途中で悪いけど、さようなら。そろそろ係留された船に乗って漕ぎ出さなきゃいけない時間だから。僕は僕らの群から離れちっぽけな僕だけになって旅立つんだ。この場所を去るのは寂しいけれど。故郷たる現実に還らなきゃいけないんだ。個として生まれ変わり、子として産まれる為に。呼に答え真っ赤な顔で初めましてと叫ぶ為に。未来への鮮やかな弧を描く為に」
「ああ、ここは……あの場所なのか……だとすると僕は……」
底に沈んだ僕は思った。
「先に行って、待ってるからね。どこかで逢えればいいね」
その無垢の声は人間のようで、猫のようで、ワニのようでもあった。知ってるようで、知らない声だった。
僕は無垢たちを倣うかのように、少しずつ記憶を捨て、海のような、羊水のような纏わりの中に痕跡を溶かしていった。
そして最後に青春の匂いも捨て、身軽になって浮かび上がった。
どれだけ待ったのだろうか。
永遠のようで一瞬のようで。
でも兎に角、僕の順番がきた。誰かが呼んでいる。だから、暖かい海から続く狭い暗渠の中の川を遡り、光射す原初を目指した。
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