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● リンダ・リンダ
ドブネズミの写真に写らない美しさって何だろう?
僕は逆に写真でしか映し出せないドブネズミの美しさなら知っている。
世間一般でドブネズミが忌み嫌われているのは、彼らの背景の問題だ。背景っていうのは暮らす世界のことだ。
彼らがゲージの中で滑車を回している写真の中の姿を可愛いと思う人は多いだろう。ゲージから逃げたハムスターが汚水に塗れ腐肉を漁っている写真に嫌悪感を抱く人は少なくないだろう。
暮らす世界という背景で美醜は容易く転換する。
だから僕はドブネズミの写真を撮る。彼らと背景の繋がりに焦点を合わせる。
写真は都合の悪い汚さを隠してくれる。画像には一方向しか写し出されないから、者や物の本質が全て表されているとは思わない。その印画の目視出来る全てが実数ならば、視えない部分には因果な虚数が隠されている筈だ。物質を写し取った印象の中には、視えていなくても存在している反物質的な裏側がある。醜悪さはそこで息を潜めているから誰にも気付かれることはない。
写真には光を受ける一面、ピントが合わされた輝かしい一点がある。それは影になった部分、ぼかされた大部分が視えない虚数として存在する事実を隠してくれるからこそ美しく映える。
ドブネズミは人間が虚数に隠した醜悪さの被害者だ。僕は懺悔するようにファインダーを覗きシャッターを押す。少しでも彼らの美しさ愛らしさを写真に残したくて。
そして僕はドブネズミを、殺す。
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