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13.犬と愛情
甲斐と寺本は床に座りこんで抱きあったまま、闖入者を見上げて硬直した。もっとも理由はまったく違っていた。甲斐の指は寺本のシャツをつかんだままで、寺本の方は無意識に甲斐の腰を引き寄せていた。ふたりともほぼ同時に言葉を発していた。
「何者だ!」
「こいさん!」
こいさん? 寺本は片手で甲斐の顎をつかむ。甲斐は寺本と横に立った男の顔を交互にみつめ、ぼうっとした眼つきだった。眸がうるんで、涙がたまる。寺本は焦った。
「甲斐君、しっかりしろ」
「こいさん……帰ってきてくれた……」
「こいさん?」
寺本は座ったまま首をまわし、上をむいた。横に立った男はにやっと笑った。ハーフパンツにTシャツを着た外見には確実に見覚えがある。背は寺本と同じか、もう少し高い。肩幅が広く、Tシャツの袖から腕がしなやかに伸びている。顔はまだ若い。二十歳くらいか。しかしふたりを見下ろす視線には顔に似つかわしくない落ちつきがあった。
「紀州さん、彼は……彼は小犬丸なんです……小犬丸……帰って……」
「甲斐君、しっかりしろ。小犬丸は犬だ。その、彼は……きみの彼氏か? 前に私がみた」
「ちがいます、小犬丸は小犬丸です! 小犬丸は犬です! 耳があるでしょう?!」
「耳なら私にもある!」
「その耳じゃないです!」
甲斐の眸から涙がこぼれおちた。寺本の胸がぎゅっとしめつけられるように痛む。思わず抱いた腕で甲斐を揺さぶる。
「頼むから泣くな!」
「僕は大丈夫ですから! これは……これは嬉しくて……こいさん……」
混乱している寺本といまや泣きじゃくっている甲斐の上にまた美声が響いた。
「いいから落ちつけ」
寺本は怒鳴った。
「落ちつけだって? 落ちつけるわけないだろう。きみは何者だ!」
「俺?」
男は体をかがめ、寺本のすぐ近くに顔を寄せた。匂いを嗅ぐかのように鼻がひくりと動いた。濃茶の眸が寺本をみつめ、寺本はその奥にちらついた老獪さに思わず息をのんだ。男の鼻が寺本の耳をかすめる。髪のあいだから毛の生えた耳が――犬の耳が――ふたつ、ぴょんと立った。
寺本はまた息をのんだ。男は寺本にささやいた。
「俺が何かって? 俺は俺だ」
「きみは……なんだ?」
「俺は神だ」
「その耳……」
「人間は俺を小犬丸と呼ぶ。可愛いだろ?」
可愛い?
やたらとふてぶてしく響く美声のせいか、寺本の脳は耳に入った日本語の意味を変換しそこなった。
「いったいきみは……」
「面倒なやつだな。じゃあこれでどうだ」
いきなり毛皮があらわれた。
たった今まで寺本の眼前にいたのは若い長身の男だったはずだ。まばたきする一瞬でそれが赤茶色の毛のかたまりに変わっていた。たった今まで見ていたのと同じ色の眸が寺本をみつめる。けものの息が顔にかかり、なかばひらいた口から長い舌がみえる。さっきの男の頭に寺本が目撃したものと同じすこし垂れた耳、まつげ、眸。前足が動いて床に落ちた布――男が着ていた服だと寺本の理性は見てとった――を踏み、犬は首をのばすと鼻先でそれを押しやるようにつついた。
犬である。どこをどうみても犬である。見た目は先ほどその辺りにいたはずの犬、寺本が止めるまで、甲斐が何やら怪しげなことをやらかそうとしていた犬である。
しかしこの犬は――この犬はさっきの犬とは別犬だ。寺本は一瞬で悟った。
「こいさん!!」
甲斐がばっと寺本を振りはらい、飛びつくように犬を背中から抱きしめて、毛皮に顔をうずめる。
「こいさん~どこに行っていたんだよ~やめてよ……」
(帰ってきたから落ちつけって。史雪)
声が寺本の頭の中に響いた。あの男の声だ。甲斐は顔をあげた。涙でぐしょぐしょだが眼も口元も笑っている。
(紀州もぽかんとしてないで、俺を歓迎しろ)
寺本の口はからからに渇いていた。この一瞬は、甲斐とのキスで濡れた記憶すら宇宙の彼方へ旅立ってしまっていた。
「きみは――ほんとうに犬なのか?」
(これで俺が犬にみえないなら、おまえは病院に行った方がいい)
「じゃあさっきの……さっきのは……」
あきれたようなため息が頭の中で響いた。視界がギュンと回るような感覚が寺本を襲う。
「えっ、ひえっ、こいさん!」
「物分かりの悪い人間だな」
犬がいた場所に全裸の男が立っていた。さきほどの男である。甲斐が半分腰を抜かしたような姿勢で裸の背中にすがりついている。寺本の頭の中でアニメーションのように男と犬の像が切り替わった。
男―犬―男―犬。
男―犬―人―犬―人―犬。
犬がいたときに頭蓋に直接響いた声を寺本の記憶は反芻する。
(俺は神だ)
犬―神。
突然寺本の頭蓋にひらめきが走った。部品がカチリと噛みあったような一瞬だった。唐突に寺本はイヌメリに入社して以来、心の奥底に潜んでいた疑問が氷解したのを悟った。ヨガで長い呼吸に集中した直後に得られる、解放感に似た感覚に包まれ、ほとんど快感のような納得が走る。
株式会社Inu-Merryでは、犬のキャラクター「メリーさん」がシンボルのような役割を果たし、社内を気ままに歩き回っている犬はただのペット犬以上の存在である。だが歴代のペット犬は、社員を和ませるためだけではない。イヌメリでは「犬」の意味、つまりイヌメリの犬たちは人間たちが無意識に発している権力の欲望や、それが織りなす網目を読みとるのだと気づいた者にのみ、トップの座が渡される。「わが社はすこしおかしい」のだ。そして「すこしおかしいからこそ発展できている」。それはなぜかというと――
「小犬丸。きみは小犬丸だ」
「そういった」
寺本は全裸の男を見上げ、その拍子に男の股のあいだで揺れる立派な一物を直視した。足のすき間から、尻の方にフサっとした毛が揺れた。尾だ、と寺本はぼんやり思った。尾――尻尾か! そしてこの犬のくせにずいぶんデカい――
金曜の夜の記憶が寺本の頭でフラッシュバックした。
「まさか」寺本はつぶやいた。
男はにやっと笑った。「わかったか」
「犬の右腕――」
(俺は史雪を選んだ。史雪はおまえを選んだ。だから俺もおまえを選んだ)
この存在が姿を変えるには、まばたきほどの時間で十分らしい。まるで犬の鳴き声のように頭蓋にうるさく響く声と同時に、ふたたびそこに立っていたのは、つややかな赤茶色の毛並みを誇らしげにさらしている犬だ。小犬丸が急に姿を変えたおかげで甲斐がつんのめって転びそうになったのを、寺本はバネのように立ち上がって抱きとめた。
「社長……すみません」
「紀州でいい。私も……すまない」
小犬丸は首をふり、査察するような眼つきで寺本と甲斐を交互にみつめた。
(史雪)
「こいさんっ、な、なに?」
(そいつの心根はわかっただろう。史雪の好きにしろ)
「え……ちょっ、」
(いくらでも好きにしたらいい。そいつを喰え)
「え? ちょちょちょっと待っ……」
唐突に犬はあくびをした。どこからどう見ても犬そのものなのになぜか人間的に感じられる仕草だった。
(俺は遠出していたからな。疲れた。すこし寝る)
「待って、こいさん! またどこかへ行ってしまうんじゃ――」
(史雪、心配するな。おまえたちと共にいる)
小犬丸はトコトコっと数歩進み、寺本は甲斐と並んで紐で引っ張られるようにその後をついて歩いた。寺本が甲斐の肘をぎゅっとつかんだのは完全に無意識の行動だったが、甲斐の手のぬくもりは逆に寺本の手首を包んだ。みると小犬丸は茶の間の入り口でふりむいていた。寺本と甲斐を物思わし気な、思慮深いともいえそうな眼つきでみつめて、それから奥の座布団へ歩いていき、周囲を二回くるりと回ってから上に転がった。そのまま動かなくなった。
「こいさん……?」
「寝ているな」
寺本は座布団の上にかがんで、小犬丸の腹がゆっくり上下するのを眺めた。甲斐がすぐ後ろに立っている。寺本の腰のあたりを甲斐の体温がかすめたとたん、先ほどのキスを思い出した。あれはほんとうについさっきのことだったのだ。意識したとたんに体温が上昇したように感じたが、寺本は素知らぬ顔をして甲斐をふりむく。
「何だかわからないが何となくわかった。会長はもちろん知っていたわけだ。なるほど、あのレポートの意味もわかった。月曜に読み返してみよう。犬が神だと知ってみれば、また発見がありそうだ」
「社長……あの……ええと……」
「紀州でいい。きみに名前で呼ばれると嬉しいんだ」
「……紀州さん」
「ありがとう。史雪」
とたんに甲斐は耳まで赤くなった。
「あ、あの……紀州さん……」
「ん?」
「ケーキ、食べませんか……」
銀色のフォークがクリーム色と黄色と狐色のコンビネーションを、美しい三角形に切り取っている。寺本はスマートにものを食べる人間だった。彼のすっと伸びた背筋やペンやスマホを持つ様子から、これまで甲斐が勝手に想像していたように。
その寺本がいま茶の間に座って、甲斐とちゃぶ台を囲み、正座して、ケーキを食べている。ケーキは彼が持ってきたものだ。駅前の人気店で、今しか発売していない限定品である。わざわざ選んで買ってくれたのだろうか。なのに小犬丸のおかげで甲斐は取り乱してしまい、寺本にろくな礼もいえていない。さっきは盛大に泣いてしまうし、その前は小犬丸を呼び戻そうと思うあまり、寺本ともみあってキス――
そうだ、キスした。あの唇と。
甲斐はチーズケーキを口に運ぶ寺本の口元をぼんやりみつめた。白い歯がちらりとみえ、薄めの唇がほとんど音もなく動く。のどぼとけが上下する。寺本はコーヒーカップを静かに持ち上げる。薄い白い磁器のカップが唇に当てられる。あの唇が自分の口に……口に……
顔がまた赤くなったのを甲斐は自覚し、ごまかすために自分のケーキ皿をみつめたが、それだけでは終わらなかった。あのキスの最中の、体じゅうの感覚が追体験のようによみがえったのだ。緊張のあまり正座した足がしびれているのかどうかもわからないくらいだったが、そこに別の感覚が侵入してくる。甲斐は思わず腰をもぞもぞと動かした。
もともと正座は苦手である。しかし寺本がこんなに端正に正座しているのだから、同じようにせざるをえないではないか。いつものようにあぐらを組んだり、膝をかかえたりはできない。だが正座のおかげで、尻を押す自分自身のかかとが、甲斐の腰の奥へ不埒な感覚を呼び起こすのである。
紀州の手のひらは大きく、先ほど甲斐を支えた腕は力強かった。甲斐はまた腰をもぞもぞと動かした。尻をかかとが押すたびに、眼の前でフォークを握っているあの手にそれをされているような錯覚に陥りそうだ。甲斐が食べているのはチーズケーキなのだが、飲みこむたびに思い出すのは、寺本の唇の感触や吐息や、先ほどずっと甲斐の腰にまわされていた手のひらで……
ああああっもう!!! 甲斐の心と体はあからさまな欲望に千々に乱れた。おさまれ! おさまってくれ! 前もうしろも……やめろって! 整列! ああん、だめだ……紀州さんをみちゃだめだ、甲斐史雪。ケーキを食べているだけなんだぞおまえは! 紀州さんだって! 僕らが食べているのはケーキだ、チーズケーキ! チーズ……
(いくらでも好きにしたらいい。そいつを喰え)
眠りに落ちる前の小犬丸が残した言葉がダイレクトにくりかえされ、甲斐は馬鹿馬鹿、こいさんの馬鹿! と頭の中で繰り返した。ただでさえ寺本には小犬丸とのアレをみられているのだ。たしかにキスはした。キスはして、だけどそれだけだ。今はこうやって落ちついてケーキを食べているのだ。
こんな……こんなになっているなんてことがわかったら、もう眼もあてられない。あんなに落ちついた紀州さんに淫乱だなんて思われたくない。まったく関係ないことを考えるんだ。ほら、今日の紀州さんの服もカッコいい……爽やかで……だけどさっきは爽やかな外見から想像していたよりずっと力が強かったし、脱いだらどんなふ――いやちがう! そうじゃなくてっ!
「美味しいな、このケーキは」
と寺本がいった。
「はいっ、あ、そ、そうですね」
甲斐は自分の内心との戦いのために、勢いあまって威勢の良すぎる返事をしてしまった。
「あ――ありがとうございます。こんなに気を遣っていただいて」
「私は断りもなく勝手に来たのだし、今日は休日なんだから、もっとその……くだけて話してくれると嬉しい」
寺本はあちこちに飛んでいこうとする甲斐の視線を追いかけるようにみつめてくる。いや、追いかけているのは甲斐の方か。
「小犬丸に話しているように、気楽な感じで。無理だろうか。実はそんなに年も違わないだろう? 私は昔から老け顔だから釣りあわないかな」
「ま、まさか。釣りあわないなんてとんでもない。あの――わかりまし――いやその、これは癖なので……」
寺本はほっとしたように目尻をゆるめた。
「それでさっきの……その、小犬丸の前の」
「えっ、うん、何……」
「私が史雪を好きだといったのはほんとうだ」
寺本はぼそぼそっと早口でいった。目尻がかすかに赤く染まっている。この人は照れているのだ、と甲斐は気づいた。照れて恥ずかしがっている。――可愛い。
すごく可愛い。
「だが、その……私はきみにおかしな圧力をかけたいわけじゃない。だからさっきその……史雪が私を好きだといったのが、もし私のことを気遣ってくれただけなら、気にしないでくれ。私はその……恋愛の経験がないから――たぶん史雪のような男には気持ち悪いだろう。きみがイヌメリで『右腕』だからといって、私生活まで気を遣う必要はないんだから。申し訳ない」
「――紀州さん」
今度は甲斐から視線をはずそうとしているのは寺本の方だった。
「犬と右腕とトップが協調してうまくやるのがイヌメリの伝統だという、この意味を私は今日、正しく理解したと思う。でも」
慌てた甲斐の口は勝手に動いた。
「紀州さん、僕がいったのは嘘じゃありません」
ほとんど考えもせず、甲斐は寺本の言葉を途中でさえぎっていた。社長に対しても広報としてもあるまじきことである。しかもやはり敬語でしか話せていない。敬語は甲斐の癖のようなものである。どの会社に行っても下っ端として扱われてきたので染みついてしまった癖だ。犬以外は。
「僕は――僕はあなたが好きです。ここに入社した時から好きでした。あの、右腕になる前からずっとこっそり見ていたんです。気持ち悪いのはむしろ僕の方です!」
今だって、ときつくてたまらないズボンの前を無視して甲斐の内心は思った。しかし寺本のハンサムな顔や、話すたびに上下する喉をみるだけで、体は甲斐の意思とは無関係に勝手な主張をくりかえし、緊張で熱くなってくる。
「だから、あの――あの、コーヒーのお代わり、いりますか?」
「あ、ああ」
「じゃ」
立ち上がったとたん膝がよろけた。正座した足がしびれていたのである。甲斐はしりもちをつきそうになり、伸びてきた腕に支えられた。寺本は――小犬丸が急に変身した時もそうだったが――すばやかった。寺本の膝に抱えられるような体勢に落ちこんでしまい、甲斐のはりつめた前がさらに緊張した。
緊張して前にせりだしたとたん、同じように堅いものと触れ合った。
「あ、」
「すまない」
寺本は甲斐を支えたまま、自分の体を遠くにやろうとでもいうように、不自然にうしろに反らせた。
「申し訳ない、私は、その、今……」
しかし遅かった。甲斐にはわかった。すでに体の要求はあまりに強く、甲斐自身が勇気を出す以前に、勝手に動きだそうとしていたところでもあった。うしろに反ろうとする寺本へ逆に寄りかかるようにして、甲斐は腰の中心をすりつけた。
布越しに感じた熱も硬度も錯覚ではなかった。寺本は欲情していた。自分に欲情しているのだ。
「……紀州さん」
甲斐は寺本の膝にみずから抱えられるようにしながら、腰をゆるく振って中心をなすりつけた。寺本の首をつかまえる。唇をよせると寺本の眼がすぐ近くにある。熱のこもった眼で甲斐をみつめている。
「……紀州さん」
「――すまない」
次の瞬間、まるで食いつかれるような勢いで甲斐は強く唇を吸われていた。激しく抱きしめられ、同時に腰を下から突き上げられる。スラックスのベルトのバックルがぶつかってカチャカチャ鳴った。舌が強引に口の中に押し入り、甲斐のそれと絡む。強く吸われたと思ったらちろちろと内側を愛撫される。強く抱きしめられて口をふさがれて、息が苦しい。苦しいのに甘い感覚が甲斐の全身を襲ってくる。勝手に腰が揺れる。
「あ――はぁ……あ……ん」
どさりと畳に倒れる音が聞こえた。
自分の背中が床に押しつけられたせいなのに、口づけが解かれないままの甲斐にはずっと遠くで鳴った音のような気がした。甲斐は寺本の背中に手をまわし、腰へとすべらせた。シャツごしでも体は熱く、皮膚のしたの筋肉が甲斐の手のひらを押し返してくる。
「史雪……」
ずれた唇のすき間から名前を呼ばれた。小犬丸に呼ばれるのとまったくちがう感覚なのはどういうわけだろう、と甲斐はぼんやり思った。寺本の髪がひたいや頬をくすぐる。自分が息を吐きだした音でやっと、キスが解かれたのがわかった。寺本の堅い中心が甲斐のそれに重ね合わされている。あれに触れたい。こすって、もっと堅くさせて、そして――
「紀州さん……抱いて……」
声は無意識に漏れていた。「抱いて……僕が嫌じゃなければ……」
はっとしたように寺本の動きが止まった。
「史雪、私は――」
寺本は甲斐をみおろしたが、つと顔をそむけた。恥じるような仕草だった。
「すまない。私は……私はだめだ。経験がないんだ。きっとうまくないし……きみを傷つけるかも……」
甲斐は息を吐いた。ついっと手をのばし、寺本の顎に触れる。
「紀州さん、大丈夫」
「でも……すまない」
「あなたは立派な男だから……ほら」
片手で紀州の尻を撫でながら、顎から喉へ、人差し指で線を描くように下げていく。寺本がうめくような声をあげ、眼を細める。その表情をみつめたまま、甲斐はさらに下へと手をおろし、ベルトのバックルをはねあげてファスナーを下げた。手触りのいい下着はテントを張ったように押し上げられ、すでに少し濡れている。甲斐の手の動きにしたがい、布の下から自律した生き物のように堅い肉棒が姿をあらわした。
思わずごくりと唾を飲んだとき、自分のズボンのボタンを外そうとした手が捕まえられた。みると寺本は唇をきっとむすんでいる。甲斐のファスナーが下がったと思ったら、あっけないくらい素早く下着ごとズボンを下げられている。
立ち上がった中心には触れないままTシャツの内側に寺本の指が入ってくる。あっと思った時には、首元にTシャツをひっかけたかっこうで乳首をちろちろと舐められ、舌でこねくりまわされ、吸われていた。寺本の堅くて熱い棒が股のあいだに押しつけられ、こすっていく。
「あ、あんっ……紀州さん……」
「史雪、ほんとうに、いいのか……」
「いいです……して……あ、」
胸を舌で弄られるたびに腰にビンビンと衝撃がはしる。経験がないなんて、と甲斐は思った。嘘に決まってる。や、紀州さんが嘘をつくなんて、そんなはずはない――あ、あ……
腰のうしろに寺本の大きな手のひらが触れた、と思ったとたん、甲斐は胴体をすくわれるようにひっくり返され、茶の間の畳にうつ伏せにされていた。すぐそこで小犬丸が眠っていることが一瞬頭にうかんだが、すぐに消し飛ぶ。
寺本が尻の割れ目を舐めたからだ。
「あ、ああ……紀州さ――」
「すまない」
畳に乳首が押しつけられ、こすられる。寺本は甲斐の膝をつかせて尻を上げさせ、甲斐のすべてをむきだしにさらした。舌と指が内側にしのびこんでくる。ふだんから小犬丸に慣らされたそこはだんだん温い舌と寺本の指になじんでいく。
一点をこすられたとき、甲斐は衝撃に大きく腰を揺らした。
「あ、ああああっ」
「史雪……痛くないか……?」
「あ、痛い、なんて――」
「すまない、大丈夫か?」
「あんっ、あ、いやぁ、いい、いいから――やめないで……紀州さん……」
あと少しでいきそうで、その誘惑に逆らえない。唾液だろうか、ぬめりが足されて寺本の指はだんだん大胆になり、甲斐の奥をほぐしてくる。ときおり寺本の指ではない堅さが皮膚をこすり、快感に朦朧とした甲斐の意識はそれをのみこみたいという別の誘惑にかられていた。あれで奥まで……奥まで突いてくれたら……
「紀州さん……お願い……」
「史雪?」
「お願い……もっと……」
「こうか?」
「ちがう……んです……あ……中に欲しくて――紀州さんの……」
息を飲む気配があったが、ほんの一瞬だった。
「史雪……」
ささやき声とともにぐいっと引っ張られ、ついで押された。ほぐれた粘膜の内側に熱い塊が押し入ってくる。甲斐の体は歓迎するかのようにそれを飲みこんだ。指でいじられていたところをもっと大きな質量で擦られる。
「史雪……ああ、」
寺本の声は不意に、不用意に漏れたらしかった。押しては引くリズムがはじまり、たった今まで指でこすられていた部分を弄っていく。しびれるような快感の波が何度も甲斐を訪れ、押し流そうとする。
甲斐は畳を掴むようについていた手をずらし、自分自身をさぐった。もう、ほんの少しの衝撃でいってしまうだろう。もういく――もう――
「ああっ……」
まさにその瞬間、強引に割りこんできた舌の感触に対して甲斐がもらした声は、思いがけず大きなものだった。
「あ、ああああ、あ―――」
うつぶせになってうしろを突かれ、揺さぶられる一方で、爆発しそうな股間の中心を熱い感触が包み込む。揺さぶられる腰は何者かの手にがっしりとつかまれ、ささえられていた。まぶたを固く閉じたままの甲斐の唇からけものじみた喘ぎがこぼれ、唾液が顎をつたう。
「こぼすな、史雪。もったいない」
声が下半身の骨を通り、背中から脳の奥まで響く。
甲斐の全身が甘い衝撃で揺れた。その響きもまた快感になりそうな美声だった。
「こいさ――あ、あああああ!」
ふたりの男は甲斐を挟んで同時に動いた。白い火花が散るような絶頂がやってきて、甲斐の意識はふらりと落ち、途切れた。
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