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鰐と義眼と友達売
警察署への足取りが荒いのは、自分でも十二分に分かっている。煉瓦が敷き詰められる街道をこれでもかとガツガツと。あぁ、今通り過ぎた女学生がピンとひげを張って。何事かとこちらを見ている。待ち合わせをしているであろう茶店の紳士も足音が煩わしいのか、ピクピクと耳を震わせて怪訝な目で見送っている。言われなくともわかっている。ここまで苛立っているのは自分でも驚きだ。吃驚だ。吃驚しすぎてまた頭が痛くなる。
だからと言ってゆっくりと落ち着いて向かえるものか。こちらは一分一秒と時間が惜しいのだ。そしてそんな時間が惜しい時に限って、あの阿呆鳥は何やってんだ。いっその事置いてってやろうか。いやそれが出来ないからこうして歩いてるんだよ。あぁぁああああああ!なんなんだあの阿呆鳥!せっかく広告の行先が解ったのに!これで一日が無駄になったじゃねぇぇぇぇかぁぁ!
そんな独白を一切口に出さず、脳内でのト書きの範疇に抑えているのなら。未だグリチーア・ナイヴァの苛立ちは限界を迎えていないと判断できる。
それでも傍から見たグリチーアの姿は行き交う者の目を奪う事に変わりない。黒い外套の端をこれでもかと翻し、黒い革の長靴で踏み鳴らす足音は不協和音。黒い山高帽の鍔から覗く藤鼠色の眼は時折視点が定まらず、彼方此方をギョロギョロと忙しない。署からの通達を宿の主から受け取ったのは二時間ほど前だったか。裏通りでの乱闘騒ぎの概要とその顛末。身元引受金二〇〇ホスールを支払うようにとの簡潔な文章にグリチーアは荷造りの手を止めざるを得なかった。
「あいつ、今日の晩飯抜き」
おっと、独白が漏れている。
そろそろ限界らしい。
漸く見えた警察署の建物。固い石階段をガン、ガンと踏み鳴らしながら登って。グリチーアは帽子を脱ぐと同時に大きく息を吸って警察署の扉を引き開いた。
「お、「だぁかぁらぁ!あたしは何度も何度もなぁんども言ってるでしょうが!其方の旦那方のお持ちした小鳥獣はあたしの扱う友達じゃありゃしませんし!あたしはもう友達売りじゃぁないんですぜ!」
「この、「はぁ?ふざけんな!俺はちゃんとこいつからあの鼠を買ったんだぞ!買ってみたらこれだ!どう落とし前つけてくれるんだ?どうせ他の商品もお前が抉り取ってんだろ!」
「あほ、「何を仰る旦那!お言葉ですがね!このミケ・クロフォッサ。自分の商品を傷つける何ざ天にも誓ってありゃしませんぜ!」
「知った事か!」
警察署玄関広間に響く油の切れた発条の様な声と、やや低い人間と思しき声に。グリチーアの「おいゴルァこの阿呆鳥」と何度も発しかけた声は呆気なく押し潰された。
「…なんだ?」
玄関広間では先客が仲介する警察官もお構いなしに、互いの主張ばかりを押し合いへし合い言語格闘を繰り広げていた。方や狐。方や人間。
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