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鰐と義眼と御持成
「ヘリンニー様…えぇ、確かにこちらでご宿泊されましたわ。そらろも…昨日の早朝に発たれましてなぁ」
「ちっくしょぉぉぉぉぉお!」
ズザァァァン!
コロコロコロコロ
「グリチィーアァァァ!眼玉落ちた!落ちたって!」
ヌマハットに到着してから、早二週間。
ヌマハット国内のスヴァリグル区。漸く見つけた思い出売りの宿泊先にて中年牝猿の女将に言われた言葉に、膝から崩れ落ちて勢い良く地面と向き合うグリチーア。
その傍をコロコロと転がる藤鼠色の義眼を鳶は慌てて拾い集めた。
「あいやどうしょばぁ。今、落としったがん、義眼ですかね?」
「ええ、まぁ、黒猫にやられまして」
「それはへぇ難儀らった事。二軒隣にどんげ病気らて治せるお医様が居りますろも、ご連絡しましょかね?」
「…どんな病気も?」
「えぇ。まぁ、喰われねぇよぉに、気ぃつけんかねぇんですが」
喰われないように。
その言葉に鳶とグリチーアは顔を見合わせる。グリチーアの顔には虚ろに黒い空洞が二つ、ぽっかりと空いていた。
「グリ。それ、見えんの?」
「見える訳、ないだ、ろ。眩し、すぎ、うぁぁ。駄目だ駄目だ。鳶。俺の鞄から遮光眼鏡出して」
よほど眩しいのか瞼を一文字に閉じて右掌で眼を覆うグリチーアの代わりに。
鳶はグリチーアの鞄から黒墨がべったりと塗りたくられた眼鏡を取り出して、手の上に乗せた。手渡された遮光眼鏡の弦を耳にかけて漸くグリチーアは瞼を開けたが、鳶にはその瞼の動きすら見えなかった。
「グリ、見えんの?」
「見えねぇって。光を一切透さねぇんだよ」
「じゃ、なんでかけんの?」
「視神経の保護。こん中視神経むき出しだぞ」
「…うぇ」
「うぇってなんだ。うぇって」
遮光眼鏡をかけた事で、一目で盲目と解るグリチーアに宿の女将が、
「そうせ、ご連絡しましょかね?」
「いや、結構です。お邪魔しました」
「へ、へぇ…」
女将に会釈して、グリチーアは玄関へと歩いて行った。
「いいのか?」
「自分の義眼位、自分でつけられる」
「確かに」
「鳶、義眼持ってる?」
「持ってるよ。袋に入れてある」
「落として割ったら殺す」
「割らねぇよ」
落とした奴に言われたくない。
そんな独白は脳内に留めながら鳶はグリチーアと共に赤い屋根の宿屋を出て、通りを歩き出した。
「…いなかったな」
「ヴィシュニカで暴れた鳶のせいだ」
「いや、二十分遅れた列車のせいだ」
「あるいは居座らせようと話を濁した酒場の牝猿のせいだ」
「若しくは風説たれたあの若猿の、」
「……」
「……」
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