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鰐と義眼と狼医者
「あったか?」
「……あぁ…あぁ、うん」
適当に見つけた茶店の軒席にて、鳶は華茶を飲みながらグリチーアに尋ねた。一方のグリチーアはと言えば、出された乳茶に一切口を付けず。鳶の言葉にも反応はすれど反応のみ。新聞の広告欄を一つも漏らすまいと眺めている。
時折、眼窩からギギュと義眼が軋む音がするのは気のせいか。
「グリ。なんか、変な音するんだけど。眼から」
「………うん…あぁ」
「聞いて、ないな。お前」
「…うん」
そんなに眼を皿にして、また義眼が外れるんじゃないか。要らぬ心配を要らぬ物だと認識しながら、鳶は華茶にまた口を付けた。
涼やかな苦味と幽かな甘味が舌を撫ぜるのを感じながら、もう暫くかかるかと背広の衣嚢から煙草を取り出して銜える。火を付けようと燐寸を探して、先ほどの子猿からの連絡先を燃やすのにグリチーアが持っていたのを思い出す。
「グリ、燐寸返して」
「…あー…うん…うん」
「グリ。燐寸」
「……あぁー…」
不自然な間と共に返される生返事。駄目だ聞いてない。
「…グリチーア」
「おぉー…」
「火ぃ」
「おー…まだ、大丈夫…まば…たき…長いだけ……ちゃんと、瞑ってる…」
「ダメだこいつ」
話す相手も居ない無言を独りで過ごすのは鳶にはかなりの苦行であった。かと言って文字が読めない、辛うじて数字は読めるがその識字力は既にナンター駅で披露済みの鳶が秘密の広告探しに参加した所で、足手纏いであるのは火を見るよりも明らか。
煙草で気を紛らわそうにも肝心の火はグリチーアの手の中。
最早、お手上げだ。
「あー…くっそぉ…」
背もたれに体重を乗せて、鳶は火が灯らぬ煙草を銜えたまま空を仰いだ。
「よろしければ、使いますか?」
「え?」
「火、お貸しいたしましょうか?」
逆様の視界に上品な仕立てと一目で判る背広を着た狼が柔和に笑って、鋼製の火擦を持って立っているのが映った。
「あ、あぁ…」
鳶は慌てて仰け反っていた上体を戻して腰を捻り。鳶の真後ろにいた狼は、火擦から炎をジポッと出した。差し出された炎の先端と銜えていた煙草の先端を重ねて数秒で鳶の煙草から煙が立ち上る。
「…えっと……ども」
「こちらこそ。お会いできて恐縮です」
「は?」
にっこりと笑う狼紳士に鳶は煙草を銜えたまま首を傾ける。鳶は勿論、グリチーアも狼に会う予定もなければ初対面の紳士に「お会いできて恐縮です」と言われる筋合いも肩書もない。
「昼頃に二軒隣の宿屋から連絡がありまして。お客様の義眼が外れたから見かけたら診てやってくれと言われまして」
「……あぁ、あ?あー…えっと…」
「そう警戒なさらないで。と言っても、この風貌ではあまり説得力がありませんね。私、こういう者でして」
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