鰐と義眼と狼医者

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狼紳士から渡された名刺には狼の名前と狼の住所と狼の肩書きが書かれている。 読めるものが読めば、カニス・ルーナス。内科、小児科、外科、皮膚科、泌尿器科と識別できるだろうが。 「…俺、字、読めないんです」 「それは失礼。この中央の大きい文字が私の名前です。カ、ニ、ス。ルー、ナ、ス。と読みます。その他は私の肩書や連絡先ですが読み飛ばして構いません。総合家庭医をしております」 「…医者、ですか?」 「あの女将は狼から見ても少々お節介なところがありますが、悪意はないので。大目に見てやってください」 「いえ、構いませんよ」 「グリ?」 鳶の肩越しにグリチーアの声がして。捻っていた腰を戻せば、新聞から視線を外していたグリチーアが穏やかに笑って狼紳士に会釈した。 「では、あなたがあの女将の言っていた医者の先生なんですね」 「ええ。眼科は専門ではないのですが義眼の装着手術や看護は出来ますので。恐らくそれで連絡してきたのでしょう」 「大丈夫だと言ったんですけど…すみません。待ちぼうけにさせてしまって」 「いえいえ。本当に救急でしたら、すぐにでもいらっしゃる筈です。十五分経っても来診がない事から、失礼ながら問題ないだろうと判断させていただきました」 「まぁ、なんやかんやで十年以上この眼には世話になってますから。自分で入れる位出来ますよ」 左が入らないと風呂場でキーキー喚いていた事は伏せておこう。 「グリ、話どこから聞いてたんだ?」 「お前が火を欲しがってた辺り?」 「聞こえてたんなら返せよ!」 「ご挨拶が遅れました。私、グリチーア・ナイヴァと申します。生まれはルバチカのカンダス。義眼売りを生業としております。こいつは私の連れで鳶と呼んで下さい」 「改めまして、カニス・ルーナスです。往診の帰りに偶然お会いできたのも何かの縁。差障りなければ、お茶をご一緒してもよろしいでしょうか」 「どうぞ」 「ありがとうございます。今、注文して参りますので、しばしお待ちください」 ルーナス医師は会釈して、店内に入って行った。 鳶は潤滑水を両の義眼に注したグリチーアに、 「…いいのか?」 「休憩。どうにか広告は見つけたから、あとは暗号解くだけだ。やっと思い出売りの本領発揮って所だな。パッと見ただけじゃ全然判らん。骨が折れるぞ」 「どれ?」 「これ」 鳶は新聞を広げたグリチーアの両腕の間を覗き込んだ。 捏造された眼球泥棒の被害。競争賭博開催。マブアート皇国とシバート帝国の戦争。青年の中指誘拐事件。財務大臣の財産目録。人魚の資格取得。麺包屋の襲撃事件。死んだ筈の少女を発見。
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