鰐と義眼と狼医者

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「まぁ、蜂蜜の様なものですかね。厳密には違うんですが、薔薇の花弁を蒸留した液を数時間以上コトコトと煮て、それに薔薇の花蜜を加えてまた更に煮詰めます。うちの看護師から薦められましてね。初めて入れた時は緊張しましたが、薦められただけあって本当に美味しいんです。入れる薔薇の種類によって、香りも色も味も変わってくるんですが、私はやはり赤薔薇の煮汁が一番好きですね。深い香りが野苺の甘味と重なってとても良い。雑貨屋でも売っているのですが。既製品は紫陽花や百合、霞草を配合しているものが多くて。華やかな香りで悪くはないのですが。一度あの赤薔薇の魅力に出会ってしまうと、ねぇ?逃げられませんな」 「へぇー…」 「お生まれはヌマハットですか?」  赤薔薇の煮汁について柔和に語る狼紳士に、どう返答したものかと考えあぐねていた鳶に代わり。グリチーアが少し温くなった乳茶を口にして尋ねた。 「私はそうですが、両親はキニーダです」 「キニーダ?」 「あぁ、知り合いにキニーダ出身の狐がいますが。奴と同郷でしたか」 「キニーダは多種国家で、狐や狼が一番多い国ですから」 「へぇ」 「幸いにも、私の生まれはヌマハットの首都でしたから。妙な軋轢も偏見も受けずにこの年まで生きて来れました」 「…スヴァリグルでは?」 ルーナス医師はふぅと瞳孔の奥を暗ませ、薔薇の煮汁が入る野苺の紅茶を静かに口内に流し込み。 「鳶さんとおっしゃいましたか。医者と聞いてどの種族を思い浮かびますか?」 「…さぁ?故郷、に、医者って仕事は、無かったんで。何とも言えないです」 「そうでしたか。ナイヴァさんは」 「大体医者と言えば、梟、ですかね」 「そうですね。多種国家であろうと単種国家であろうと、梟が定住して医業をやっている場合が殆ど。いえ、梟に限らず、種族と職業が直結している獣の一族は多く存在しています。医者と言えば梟、警察と言えば兎、宿屋と言えば熊猫、政治屋と言えば豚、兵士と言えば猪。と、いった具合にね。狼が医者をやっているという事は極めて稀でしょうね」 ふと、鳶はグリチーアの義眼が外れた時の宿屋の女将の言葉を思い出した。あの時、女将は医者を紹介するとグリチーアに言った傍から。少々自虐的な感情を浮かべて 「まぁ、喰われねぇよぉに、気ぃつけんかねぇんろも」と。 そう言ったのだった。 「あの女将が何か言っていましたか?」 「あ、いや、別に」 「想像に難くないので追及しませんよ」 そう柔和に語るルーナス医師の眼には、諦念と幽かな怒りが見え隠れしていた。 「狼は獰猛で残虐の限りを尽くす。否定はしません。現に祖先はそうでした。ですが私だけでなく、父も母も。そもそも今の狼に生者を嬲り殺す習性はありません。肉食ですが家畜用の肉を食べるのが殆どで、国民を食べる事は一切ありません。それでも無条件で狼を恐れる獣は多い。きっと私は、私の様な変わり種の狼がいる事を知って頂きたくて、医者をしているのかもしれません」 「それを言ったら人間だって」 僅かに自嘲して笑うルーナス医師に、鳶は眉間を上に寄せて視線は下げた表情で。 吐き出すように、 「人間だって。肉は食うし同種殺しはするし自分の利権しか考えない。脆弱な他者と比較して優越感を得る生き物ですよ。今の狼よりも残虐です」 「鳶」
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