鰐と義眼と友達売

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面倒事に遭遇したら他人のふりをする。グリチーアの六年間の経験に基づく旅の心得に【それでも例外は存在する】と、書き加えざるを得なくなってしまった。それはグリチーアの為人のせいではなく、職業病のせいだと言い聞かせながら。グリチーアは不安げに見上げるミケをギョロッと見下ろして。 「…だ、旦那?」 「飯奢れ。二人分」 「ふぇ?」 「二か月前の証言とその鼠の検証代だ。今日発つつもりだったんだが、阿呆鳥のせいで一日無駄になっちまった。宿の酒場で十分だ。安いもんだろ」 「旦那ぁぁぁ」 「止めろ引っ付くな。服に毛が付く」 感動の抱擁を求めるミケの頭を引き剥がすグリチーアに、男は背中や腋に伝う汗を感じながら。 「外野はすっこんでろって言っただろ」 「まぁ、職業病って奴なんで。大丈夫。すぐに判りますよ」 「職業病?お前。探偵か?」 「いえ、私は探偵じゃなくて一介の行商人でして」 「行商人?」 「グリチーア」 グリチーアが職業を明かす前に警察官が血塗れの檻を持って降りてきた。 「…これ、」 「さっきまで生きていたんだ。だけど」 基本的に感情の読み取れない種族だが、それでもその顔からは、悲痛の面持ちが感じ取れる。檻の中では、眼球を抉られた小さな鼠が血を吐いて死んでいた。 「…自死か?」 「鼠は自殺できませんぜ」 「検死しない事には判らないけど」 「この鼠、言葉は?」 「いや、恐らく、シターマの鼠だろう。言葉は通じなかった」 「…そうか」 「生きていたんだ。生きて、いたのに」 「落ち着け。分かるけどな?」 「あぁ…」 グリチーアは檻を開けて。鼠の骸を掌に乗せ、鼠の額と自分の額を合わせ、藤鼠色の眼の照準を合わせて。空洞の眼窩をじっと検分し始めた。 「…そんなちっさい穴の奥なんざ、見えるんですかい?」 「黙ってろ。結構神経使うんだよ」 「へぇ」 「小刀を使った痕跡もないし、眼窩や視神経に傷一つない。血が流れた形跡もない。数日前に売買したにしては、体液が乾きすぎ」 額と額を離してグリチーアは鼠を檻に戻した。 「狐にこんな器用すぎる真似は無理だろ。黒猫にやられたんだな」 「黒猫…?」 「黒猫をご存じないですか?眼球泥棒として世間を騒がせていた悪党ですよ。少なくとも、マブアートとシバートでは国際手配されていましたが」 「…いや、そうか…へぇ…」 グリチーアの言葉に、男は微かにほぅと息を吐いて。 「何だその息」 「え?」 吐いた息を再び吸い込んだ。 グリチーアはギュルンと、藤鼠色の眼を男に向けて、 「何で今息を吐いた?」 「…え?」 「息。吐いただろ。何安心してんだ?」 「……」 「本当に黒猫をご存じないようだな。黒猫は半年前にシバートで逮捕されて、即日処刑されただろ」 「っ!」 「新聞も読んでねぇのか?どこの出身だ?サラタスヴァか?」 「グリチーア。その追求は本業に任せて、正しい検証報告をしてくれないか」 警察官は無に近い朱色の目を男に向けたまま、グリチーアを促す。
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