しかと道照る、一等地

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「家を出た後にね、まず住む所を探した。住む所といっても文無しだったからね、住み込みで働ける所を探したんだ。さっき話したお惣菜屋さんでしばらくご厄介になってた。お店の人には凄く良くしてもらったよ」  光希坊っちゃまは、この町に来た経緯と生活ぶりを語り始めます。 「お金がある程度貯まったから、常連のお客さんに紹介してもらったこのアパートに住み始めて……。で、今に至るって感じかな」  光希坊っちゃまの話に、喜子さんは頷きます。 「そうだったんですか。私の若い頃の生活ぶりにどこか似ています」  と言いながら部屋を見回し、「あ」と慌てて口を押さえます。 「いえ、私なんかと坊っちゃまを一緒にするなんて、大層な失礼を──」  畏縮する喜子さんに、光希坊っちゃまは笑って首を振ります。 「水臭いよ、喜子さん。それに僕はもう富永の人間じゃないんだから」 「いえ、そんな事は……」  喜子さんは未だ恐縮しながら何か言いたげでしたが、口を噤みます。  そして所在なさげに自分の手提げバッグに触れた時、喜子さんは「あ」と何かを思い出しました。 「忘れておりました。光希坊っちゃまにと思い、五目いなりを作ってきまして……」  そう言ってバッグを探り、恥ずかしそうに二段のお重を取り出しました。 「え、ホントに?やったぁ! 喜子さんの五目いなり大好きなんだよね」  光希坊っちゃまは若干身を乗り出し、子供のように目を輝かせました。 「私も作るのは坊っちゃまが出ていかれて以来で……。それにもう、こんなお粗末な物お口に合いますかどうか……」  遠慮がちにお重をちゃぶ台の上にすすっと差し出す喜子さんに、光希坊っちゃまは笑い飛ばします。 「何言ってんの喜子さん、喜子さんの五目いなりは絶品じゃないか。ありがとう。いただきます!」  言うや否や、光希坊っちゃまはお重の蓋を開けて五目いなりを手掴みし口に放り込みます。 「ん、うまい」  ニコニコと咀嚼する光希坊っちゃまに一瞬面食らいながらも、喜子さんは胸に熱いものが込み上げ目を潤ませます。 「ああ、嬉しゅうございます。もうこれを召し上がってくださる方が、富永様のお宅にはいなくなってしまったので……」  喜子さんの言葉に、光希坊っちゃまは僅かに沈黙します。
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