見えない影の底に怯えながら

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手伝いをする形に切り替えて リビングの後片付けを終えると 就寝の為に歯を磨いてから一緒に寝室に入る。 黒いエプロンを脱いだ男は真剣な表情で 俺をベッドに座らせると 自分は椅子を取り出してそれに腰をかける。 「氷藤を、悪く思わないであげて下さい」 無言の俺が俯いて数秒、 男の手が俺の頭の上にそっと置かれた。 「・・・彼は・・・実はかつて彼も 君の様に虐待を受けて育った被害者です」 「え?」 「君と違うのは、虐待をしていた加害者が 実の両親という所からです」 若干目を伏せて、表情に陰を落とす。 俺は耳に入った衝撃で呆然としていたが 嫌に頭はスッキリして、 その口から流れ出る言葉を聞き逃さない。 「諸々の経緯は省きますが、 最終的に彼の両親を警察へ引き渡し、 彼自身の身柄は 鬼風の実家が引き取る事になりました」 俺にはそれが特に悪い事の様には聞こえない。 なのに、それを語る男が 酷く悔いている様に顔を歪めていた。 「だから、君のその無数の痣を見て 氷藤はかつての自分と重ね、 放って置く事が出来なかったのではと。 口調は厳しいですが、 あれでも心根は優しい男なのですよ」 俺の顔を見て 眉尻を下げて微笑む。 無言で俺を宥めるその微笑からは 彼の真意が読み取れない。 だが、確かに感じたのは この男と長い時間を共にした人間達への 自分ですら見苦しい幼稚な嫉妬だ。 「氷藤はともかく、 ミサオや鬼風はその内 また押し掛けて来るでしょうので その時に改めて謝罪なさい」 俺の頭から手を離して、 椅子と交換する様に布団一式を取り出して 絨毯の上で広げて敷く。 「・・・なぁ、俺も雪尋って呼んで良い?」 「藪から棒になんですか。 しかも、また呼び捨てで・・・」 「呼ばしてくれたら、頑張る。 アンタも、俺の事好きに呼べば良いし」 自分で言ってから、 ベッドの上で寝転がって枕を抱き締める。 毛布で口元を覆いながら、壁に顔を向ける。 「・・・もう好きになさい」 溜息混じりのその言葉を聞いて 口角が頬の方へ上る。 部屋の照明が消えた後 穏やかな声を最後に清閑な時間が訪れる。 まだ見えない影の底。 深過ぎて落ちる勇気のない自分に苛立つ。
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