私たちは、きっと彼を忘れない

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「今すぐになんて死ねねえよ」  黒ずくめの男が悪態をつくように言い放ち舌打ちをすると小柄な黒い影がびくっと身体を振るわせた。  日の沈んだ空には星が点々と光りはじめている。二つの黒い影は周囲を背の高い木々でぐるりと囲まれた公園にあった。すこし肌寒いような乾いた風が静かに木の葉を揺らす。  男は萎縮した少女につとめて落ち着いた声の調子で話しかける。 「この契約は一週間以内に上のお役所がハンコ押して申請が通ってはじめて晴れてあんたはあの世逝き。通らなければ契約ごとなかったことになる」  男としては最大限優しく話してやったつもりだがそれでも少女はまだ怯えたような目で男の表情を伺っている。しかしその表情は目深にかぶったフードのせいで少女の目線からはよく見えなかった。風が吹くと少女のうつろな瞳にくせのある黒髪がかかった。 「契約ごとなかったこと…」  男の言葉にピンとこなかったその少女はぼんやりとおうむ返しに聞き返す。 「俺に会ったことも契約をした記憶も残らず消えてしばらくはあんたは死なねえ。あんたみたいな自殺志願は手続き面倒なんだよな」  男は首の後ろをぽりぽり掻いてから肩にもたせかけていた彼の身長ほどもある大きな鎌の柄を握り直すとフードの中で紫色の瞳をきらりと光らせた。  少女は死んでしまいたいと望んでいた。その絶望の匂いを辿ってこの男は彼女の前に現れたのだ。そしてこの男は”死神”として少女と死の契約をかわす。一週間後には少女はあの世逝きの切符を手に入れるだろう。  死んでしまえば哀しくはないし、もうこれ以上自分を責める事もない。彼女はそう考えていた。しかし彼女はふと思う。 でも… 「それまでにもし…もし気が変わって生きていたくなったら?」  おずおずと訪ねる少女に死神は鼻の頭に犬のようなしわを寄せ顔をしかめるとだるそうに答えた。 「は?申請が通れば本人のその時の意思に関係なく契約は実行される。あんたはもう契約しちまったしな。それと契約が通るかはさておきこの記憶も消させてもらう。説明義務は果たした。これでおしまいだ」  そしてもう質問はさせないとばかりに死神の振り上げた鎌が次の言葉を失った少女の頭上の空を切った。 ビュッ
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