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第三章 風に憧れて
彼は、茜誠(まこと)。少女・樋口(ひぐち)藍(あい)の一級先輩だ。
芸術活動を重視する高校に通っている。
飄々としていてつかみにくいところもあるけれど、躍動感のある絵を描かせたら並ぶ人はいない。
そんな彼と、藍の接点は絵画。
もともと絵が好きで、描くこともしていた藍は、中学生のころ、陸上部と兼部をしていた。
一緒に美術部で活動するうちに。いつしか彼へ恋心を抱くようになったのだけれど。
走ることも諦めることができずに、結局今の学校へ進学してしまった。
「藍がインターハイ優勝、かぁ。」
いまいち感情の読めない呟きに、藍は眺めていた画面から誠へ顔を戻した。
名前で呼ばれるのは、親友が彼のいとこだったためだ。
他の人より親しくなれた分、なんとも微妙な立ち位置になっている気がしなくもない。
「また遠のいちゃったな。」
藍から少しだけ視線を外して笑うその顔が。どこか寂し気に見えて藍の胸がきゅっと苦しくなった。
幼い頃、彼は体が弱くて。運動とはほとんど縁がなかったから。
いっそう絵にのめり込むようになったと聞いている。
「せんっ…。」
こういうとき、声が出ないのはもどかしい。
早く。そうではないと伝えなくては。
誠との距離が本当に。
「けど、きれいなフォームで、風のように走る藍の姿は、いつも目に入ってたからさ。」
誠へ伸ばしかけていた藍の手が止まる。
代わりに、胸がドキドキしてきた。
「藍がどれだけ速くなったって、俺の目は藍を見失わない。だから、これからはもっと近くで、藍の絵を描かせてほしい。」
それは少しずるい。
というのが藍の感想。
今までで一番、やわらかい笑顔を浮かべるなんて。
動きをつかまえるのが上手い瞳に、応援させてほしいと言われてしまったら。藍には否と答えるだけの理由もない。
「まぁ、たまには、一緒に絵を描いたりもしたいけど。」
照れたように笑って頭をかく誠。
彼にしては珍しいその仕草が、彼の緊張を教えてくれる。
だからこそ、これが現実のことだと実感がわいた。
「藍?」
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