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損すると目をつりあげて乗り込んできたりする客もたまにいた。突然飛び込んで着て、あたりかまわず大声で喚き続ける。驚くのは新人だけだ。一年以上在社している者は、またかという視線をちらと送ったまま、無視し続ける。担当の社員が相手をする。のらりくらりと言い逃れを続ける。ラチがあかないからといって、上役を呼び出すところまでいくこともある。だが、上役というのは、のらりくらりの場数をより踏んだ者という意味だ。呼び出したところで、何らかの進展があるわけもない。むしろ逆行しているのだが、それに気付く者はいない。土台、まともな思考能力など働かない状態になってから乗り込んでくるのだ。冷静な、あるいは冷ややかな態度を崩さなければ、子供がだだをこねるのを軽くあしらうのと大して変わりはない。
勧誘する時はおいしいことしか言わない限り、食い付いてくるわけもない。損するかもしれませんと言われて、納得して金を出す人間がどこにいるというのか。おいしいことを言わせておいて、損した時だけ文句をいうというのも勝手に思え、そのうちこちらも慣れてきた。
先輩は、営業というのはモノを売るんじゃない、自分という人間を売り込むんだ、と酒を飲むと教えたりした。だが、登録外務員試験を受かるまでは本当は営業してはいけない。だからといって、何もしないで机につけておくわけにもいかない。そこで、先輩の名前を名乗ってテレコールを繰り返した。何回も、何十回も、自分のでない名前を名乗り続ける。自分で自分を洗脳しているようなものだ。
そのうち、登録外務員の試験を受け、あっさり合格した。同期入社のほとんど全員が合格した。しなかった者もいたらしいが、それがどうなったかは知らない。持っていたからといって、他の業種ではおよそ何の意味のない資格だ。ただ、試験を受けに行く時だけ会社から離れられてほっとしたのはよく覚えている。試験を受けるのが嬉しかったのなど、およそなかったことだ。
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