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斉藤さんの声が、美桜の心に静かに浸みていく。
(お願いです。そのくちびるで、もうお姉ちゃんへの愛を語らないで…)
美桜は自分の唇をギュッときつくかみしめた。
「美桜ちゃんのお母さんとか、お父さんも…。よくしてくれたしね。悲しませるのは悪いな、とか。そういうことがね、色々頭に浮かんで。ああ、無理なんだな、って」
(無理……)
美桜は涙を抑えることができなくなった。斉藤さんはいい人すぎる。結婚式をキャンセルまでされたんだから、恨んでもいいのに。
私の事も、いっそ道連れに墜ちてしまえばよかったのに。
「あのネックレス、最初で最後のプレゼントになっちゃうけど、君に付けて欲しかった。美奈からのでもあるから、半分だけだけど……ごめんね」
「いっ」
(いやです)と言おうとして、美桜は斉藤さんの顔を見上げた。でも涙の向こう側に映る斉藤さんは、美桜よりも辛そうな顔をしていたから、言えなかった。
「斉藤さん。好きです。斉藤さんも、少しは私のこと好きでしたか……?」
美桜の質問に、斉藤さんは答えてくれなかった。
美桜を立たせると、繋いだ手をそっと離した。くるまれていた手がむき出しになって、空気がひんやりした。
「斉藤さん」
(お姉ちゃんのことが、まだ好きなんですね……)
その言葉は痛すぎて、美桜には言えなかった。言いかけた言葉をのみ込んでしまうと、美桜はもう言う言葉を失ってしまった。
「美桜ちゃん、ごめんね。さよなら」
斉藤さんは美桜をタクシーを停めてくれた。泣いている美桜を残して帰るのは心配だったのだろう。どこまでお兄さんなんだろう。でも美桜はいっそそのまま、暗闇に染まっていく公園で、泣き崩れてしまいたかった。
美桜がタクシーに乗り込むとき、斉藤さんはいつものように、ドアに頭をぶつけないように縁を手で抑えてくれた。
美桜は乗り込む間際、斉藤さんのくちびるに口づけた。斉藤さんのくちびるはたった今、別れを語ったばかりなのに、そのキスは美桜にクラクラと甘い目眩を感じさせた。
美桜が家に付いたとき、斉藤さんの連絡先は美桜の携帯電話から消えていて、美桜は声をあげて泣いた。あまりにスパッと美桜の人生から、斉藤さんは切り取られてしまった。イラスト:ハナ様
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