第1章

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 香乃が立ち上がろうとした時、惣介が「待て」と小声で制した。刀を手に土間へ降り戸の隙間から覗いた。次に裏へ廻ってうかがうと「チッ」と舌打が出てしまった。 「お前さま……」 「囲まれてる、香乃奥へいってろ」 「で、でも」 「早く!」  押し問答している暇はない。頷いた香乃が奥へ消えると同時にドンドンと戸を叩く音が聞こえた。「開けろ! 開けぬと壊すぞ!」どなり声が聞こえた。  ――あの声は昼間の奴だな、俺まで捕らえに来たか。  ドンドン、ドド、ドン、「何をしておる早くせぬか!」  惣介は戸の前へ行き「こんな夜分に誰だべ」  わざとのんびり問うた。 「目付役だ、お主に訊きたいことがある。今直ぐ同道願おう」  バーンと勢いよく戸を開けたものだから、戸に口を近づけて話してた目付が驚いてのけ反った。敷居をまたいで表へ出た惣介は、そのまま相手を睨みながら戸を閉めた。惣介が一歩進めば相手は二歩後退する。ぐるりと見廻せば夜目でも二、三十人居るのがわかる。  ――たかだか俺ひとりに大袈裟だべ。 「お、おとなしく同道してもらおう」 「やだ……と言ったら」睨み付けると、相手は困惑と恐怖の入り混じった顔で「て、抵抗すれば、い、命はないぞ」  やはり香乃を一緒に逃がせればよかったと後悔した。  目付との距離は三間ほど。「やってみるか」と刀を抜くと、男はヒーッと奇声を発して尻もちを付いてしまった。そのままの姿勢で後ずさりして仲間に助け起こされた。俄かにざわつきはじめた。敵ながらなんとも情けない者どもだ。  すると、ひとりの男が進み出てきた。 「いくらあなたでもこれだけの人数を相手にするのは少々大変だ。ひとりだけなら逃げ切れるかもしれないが家族が一緒では無理。それとも試してみますか」  懐手にした奥村左門の相変わらず癇に障る話方である。それがまた的を得ているからなおさら憎たらしい。惣介は苦笑いをしながら刀を鞘に収めた。 「なぜお主がここにいる」 「この藩に三木惣介をやぶる手練はいない。私が頼まれたのですよ。でもあなたを殺したくない。おわかりでしょう」 「秘剣とやらが手に入らぬからか」 「もちろんです。どうです、ひとつ取引しまんか」 「取引?」 「秘剣を伝授してくれたらあなたの命の保証をしましょう」 「お主はこの藩の者でない、あてにはならんな。それに梶川の強欲爺さんが……」  と、家の中から大きな物音と香乃の叫びが聞こえた。
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