第1章

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「わかった任せてくれ。おれは方山藩随一の使い手三木惣介のむすめ、かえでだ」心配無用と胸を叩いた。 「よしっ」と頷いた惣介は、隅で荷物をまとめている両吉を見詰め一言、「頼んだぞ」  両吉も「任せてくれ」と胸を叩いた。               三  家に帰り着いた惣介はどっこらしょと囲炉裏に座り大きなため息をついた。香乃が灰の中から熾火を掻き出し息を吹きかけるとポーと赤くなった。小枝を乗せもう一度吹くとパチパチと燃え始め、煙が立ち昇って炎が大きくなってから薪をくべた。鉄瓶はすっかり冷えきっている。  惣介は何とか村人を説得し暴発するのを押しとどめたが、この先も抑えられる自信はない。それに組頭の身が心配だ。梶川派は村人を扇動していると言ったが事実はその逆。話せば分かる相手ならいいがそういう連中ではない。ただ手続を経ずに罪を与えれば大騒ぎのもとになる。殿様の耳に入ることを考えれば強引に事を運ぶとは思えないが安心は出来ない。そして一番心配なのはかえでだ。無事江戸へたどり着けるだろうか、梶川派が気付き追手を差し向けたらと思うと胸が張り裂けそうになる。あの時は興奮していたから斬りまくれと言ってしまったが、逃げろと言えば良かったと後悔する。 「せめて国境まで送ればよかったな」思わず愚痴が出た。 「お前さまが一緒にいたら、それこそ見つかって仕舞います」 「それもそうだ。両吉がついているから大丈夫か」 「しばらく見ぬ間にずいぶん大人びて」 「あの悪たれが……いい顔になった」  わずかに鉄瓶から湯気が昇りはじめた。  時刻は四ツ半くらいだろう、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静かだ。寒気は容赦なく家の中まで侵入している。温かいのは囲炉裏の周りだけで背中は冷気が張り付いている。 「ふたりは出発したでしょうか」 「まだ梶川派がうろちょろしてる。その辺のところは師匠が見極めてくれる」 「氷花が流れる一番寒い夜に……」  よりによってこんな寒い日に娘を送り出さねばならぬ母親の心境は察して余りある。しかも、わずか十七のむすめが、敵に悟られないよう命がけの行動をするのである。惣介は香乃の俯く横顔をじっと見詰めることしか出来なかった。 「お前さま、一本つけましょうか?」気を取り直した香乃が明るく言った。 「そうだな、今夜は寝れそうもねえしな」
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