第1章

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 ――しまった。  奥村左門に気を取られている隙に裏から侵入されてしまった。慌てて中へ入ると捕まった香乃の首筋に刀があてがわれている。 「きたねえぞ!」言ってはみたが後の祭りである。 「犠牲者を出さずにあなたを捕らえるのはこうするより手がないのです。それだけあなたは強いという証です」  奥村左門が勝ち誇ったように言う。 「お前さま、わたしのことなどどうでもよいです。村のために逃げてください。あなたなら斬り抜けられます!」  香乃は髪を振り乱し必死に訴える。「香乃」惣介は愛おしそうに呟いて刀をポンと投げた。「おまえさま~」と香乃が泣き崩れた。  たちまち数人が殺到して惣介を縛り上げた。目付役が憎悪を込めて「ふん、いいざまだ。俺たちに逆らうとどうなるか、たっぷり教えてやる」と動けないのをいいことに殴る蹴るの暴行を加える。  その屈辱と苦痛に耐える惣介の耳に、「むすめが見当たりません」と聞こえた。  目付役が「なに、居ないだと」蹴る足を止め惣介を覗きこんだ。 「何処へ隠した!」 「女房と子供は関係ねえべ」 「そうはいかぬ、罪人の家族だ。訊ねたいことが山ほどある。娘の居場所を言え!」 「知るか!」ペッと血の混じる唾を相手の顔へ吐いた。この野郎とまたも蹴られた。 「こういうこともあるかと、大方の道は封鎖してある。むすめひとり直ぐに捕まる。あっ、もしかするとあのうらぶれた道場に匿われてるかも知れんのう。よし、調べてみるか」  もう一度惣介を蹴りあげて、お返しの唾を吐き、引き上げるぞと声を掛けた。  篝火が焚かれ昼のように明るい。玉砂利を敷き詰めた庭に、後ろ手に縛られた組頭が横たわっている。その横に惣介も蹴飛ばされて倒された。 「そこでおとなしくしていろ!」  三人の見張りをのこして目付は屋敷の中に消えた。  てっきり城へ連れて行かれると思っていたが、着いたのは次席家老の屋敷だった。正式な手続きを経ずに処分する魂胆だ。考えが甘かった。孫左衛門はこちらが考えているよりはるかにしたたかで冷徹な男だった。今、恐怖で藩と領民を支配しようとしている。 「く、組頭」惣介が声を掛けると、血だらけの顔を向けてくるが、瞼が腫れすぎて目は開かなかった。 「そ、そう……すけ……か」話すのも苦しそうだ。  見張りは縛られているから逃げられないと安心し、火に当たりながら談笑している。
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