第1章

117/177
102人が本棚に入れています
本棚に追加
/177ページ
 惣介は小声で今日の出来事を話した。かえでが江戸へ向ったと聞くと見えぬ目から涙を流した。 「そうすけ、や、やつらはおれたちを、こ、ころすきだ。おまえは……か、かのさんをた、たすけて……にげ……ろ」 「縛られている。だめだ」  すると、組頭はざくろのように腫れた顔を綻ばせた。 「おれの手のなか……に、ちゃわんのか、かけらがある。それでなわをきれ。じ、じせきかろうをおこらせたら、ちゃわんをなげつけられて……そのかけらが手の……」  と言うと体が小刻みに震え、ゴホゴホと咳き込み血を吐いた。 「く、くみがしら」声を掛けるが返事はなかった。体を寄せて肘で突いたが反応もない。後ろ向きになって体をよじり欠片を手にした。  ――組頭、村を守ることが出来なくて申し訳ねえ。だが俺も秘剣の伝承者だ。縄を切り、油断してる見張りから刀を奪って、必ず梶川親子を斃してみせる。その辺に腰掛けて見守っていてくれ……あの世へは一緒に行くべ。  見張りの者は相変わらず暖を取りながら話しこんでいる。玉砂利を踏みしめる音が聞こえ、慌てて手の動きを止めた。 「秘剣の伝承者たるものが惨めなものだ。ご先祖があの世で嘆いていますよ」  足音は奥村左門だった。 「前にもいったはずだ、俺は秘剣なんぞ知らねえ」 「この期に及んでまだ白を切るつもりですか。このままでは本当に殺されます。私はあなたを救うことが出来る、どうです強情を張らずに私に賭けてみませんか」 「どうやって助けるのだ」 「簡単なことです。城代家老菅野軍兵衛を討って梶川派に寝返るのです。あなたと私が手を組めば簡単に出来ます。出世も夢ではない。その橋渡しを私が致しましょう」 「生憎だな、出来ねえ相談だ」 「そうですか、実に勿体ない。一子相伝の技が……」と言った奥村左門がそこで絶句した。  もういちど一子相伝と呟き、動けぬ惣介の顔を覗きんできた。 「ま、まさか! ありえない」  何時も、心憎いほど落ち着き払ってる奥村左門の声が上ずった。  ――こいつ気付きやがった。 「まさか……あなたには娘がいる。しかもかなりの使い手らしい。そこいらの藩士にも負けないと聞きました。もしかすると井口長兵衛も……」  惣介は拙いと思った。勘の鋭い男だと舌を巻いたが、ここはとぼけ通す以外にない。
/177ページ

最初のコメントを投稿しよう!