第1章

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「しつこい男だべ、秘剣なんぞ知らねえと言ってるのに、今度は俺のむすめに目をつけたか、いい加減にしてもらいてえ」呆れ果てたという顔を作った。  だが、奥村左門は突き刺すような視線を浴びせてくる。惣介は悟られぬよう目を閉じた。 「こういう時の私の勘は案外当たるものなのです。そう考えると辻褄が合う。あなたと井口長兵衛は秘剣を娘に託し何処かへ逃がした。そうでしょう」 「ばかばかしい」 「まあ、よいでしょう。娘を捕まえれば分かることだ」  楽しむように話すと離れていった。その背を見詰めながら惣介の手が再び動き出した。  香乃は座敷の中央に後手に縛られている。先ほどから火鉢に手をかざしている孫左衛門が睨むように視線を向けてくる。  自分のことより良人とかえでの身が心配だ。かえでは無事だろうか、良人を助ける手立てはないものだろうかと考えるが、囚われの身では良い案などあるはずもない。  孫左衛門が「無骨なお前たちがいたら、話しづらいじゃろう。席をはずせ」と控えの者に命じた。  二人きりになると孫左衛門は香乃の側へ来て顔を見せよと顎に指を添えて覗き込む。 「ほおー、さすが殿の側近く仕えた女じゃ。化粧をすれば十は若く見えるぞ」  孫左衛門のいやらしい微笑みを見て、香乃は顔をそむけると、床の間に立派な刀が掛かっていた。 「お前の夫は郷士とはいえ藩士なのだぞ。それが率先して百姓どもを扇動するとはけしからん。このままでは死罪はまぬがれぬぞ」 「何を証拠に扇動などと!」死罪と聞いた香乃はキッと孫左衛門を睨む。 「証拠など幾らでもある。いや作れる。それが権力というものじゃ」  香乃は憤怒の形相で怒りを表す。 「とはいえ、助けられぬこともないぞ。どうじゃ魚心あれば水心、お前がその気になれば助けてやってもよいぞ」  香乃は夫を助けてもよいと言われ「その気とは?」と聞き返した。 「わしに仕えよ、どうじゃ」  香乃は孫左衛門の言葉の意味が理解出来ず首を傾げる。 「離縁するのだ。郷士の夫にかわり、わしが可愛がってやる。贅沢も出来るぞ」  動けぬのを幸いに胸の袷に手を忍ばせてきた。驚いて身をよじるが後手に縛られているので自由が利かない。老人にしてはかなりの力である。畳にうっ伏し逃げようとするが、着物の裾を割られ手が中に伸びてくる。
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