第1章

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 かえではふくべ沼の枯れた葦の中に身を潜めていた。水面は凍りつき、湿地も岩のように硬くなっている。空を仰ぐと流れ星が二つ、東から西へ流れていった。  そっちこっちに見張りが立っていて迂回しながら、やっとここまで辿り着いた。時刻は八ツを過ぎているだろう。何としても夜明け前に方山藩から脱出しなければならない。明るくなれば見つけられる可能性が大きくなる。  白神さまの祠の裏に杣道がある。その道を伝い水戸藩の村へ抜けると両吉は言う。沼の畔から屏風山まで続く坂道を登らねばならないが、坂の登り口に藩士が詰めている。赤々と焚き火が見える。  かえでを葦の中に残していた両吉が戻って来た。 「六人ほど居るが三人は寝ている。ほかの三人も見張りというより火の番みてえなもんだ。音をたてずに岸辺を進んで、道から少し離れた岩場を登れば気付かれねえべ」 「分かった」 「こんな俺が今更頼むのもなんだが、村を救ってくれ。江戸へ辿り着いてくれ」 「必ず書状を松本清十郎さまへ渡す。心配しねえでくれ」 「うん」 「両吉も村の為に頑張ってくれ。だけど無茶すんなよ」  両吉はそれには答えず「かえで……」と呟いた。 「なんだ?」 「俺はかえでを水戸まで送り届けたら……」と俯いて言い淀む。 「届けたらどうなんだ? 両吉らしくねえべ」 「俺は……おれは花を探し出す。何年掛かっても、爺さんになっても花を探し出す。こんなこと言うとみんな笑うべな。親兄弟すら居場所が分かんねえのに、どうやって探すんだと」 「もし、両吉を笑う者が居たら、おれがぶん殴ってやる」  顔を上げた両吉は「ありがとう」とはにかんだ。 「さて、じゃあ行くべ」両吉の言葉に頷いて立ち上がった。音をたてぬように葦から抜け出し焚火を見るが、気付いた様子はない。 「こっちだ」両吉に導かれ這うように進む。これが夏なら蛙の声で足音など掻き消されるのだが、真冬の夜は星々の瞬きが聞こえそうな静けさである。離れていても薪の爆ぜる音が聞こえる。  ボキッ、枯れ枝を踏んでしまった。咄嗟に地面に這いつくばる。 「おい半次、今音がしなかったか」声が聞こえた。しかも焚き火をしている方向からではない。そーと声のする方向へ顔をむけると新たに二人歩いてくる。かえでから三間ほどしか離れていない。 「あっしには何も聞こえませんでした」
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