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この前の夜とは違って、男は太い黒縁の眼鏡をかけていた。レンズ越しでも長い睫毛に覆われた切れ長の目がはっきりと見える。すこしくせのある真っ黒な髪は、後ろで無造作に結ばれていた。ライトグレーのVネックTシャツに、黒のパンツ。シンプルだからこそ、スタイルの良さが一目瞭然だ。
「よく眠れたか?」
「……おかげさまで」
「良かったな」
「あのっ、」
思った以上に大声が出て、慌てて口元を押さえる。
「……こないだのこと、俺、態度悪くてごめん」
絞り出すように言った後、お辞儀人形のようにぺこりと頭を下げた。
「あんたに言われたこと、あの時めちゃくちゃ腹が立って、でもずっと頭から離れなくって、それはあんたが言う通りだからだって気づいて、」
男は黙ったまま、俺に目配せをする。
「あんたがしてくれたお祓い? あれ、効いたよ。目が覚めたら身体がすげえ軽いし、目に映るもの全部が輝いて見えるし、……本当に、びっくりした」
大きく息を吸い込んでから、まっすぐに男の目を見つめた。
「……ありがとう。俺、それを言いたくてずっとあんたを待ってたんだ。でも、会えなかった」
「仕事で一週間留守にしてたんだ。待たせて悪かったな」
「占いの?」
「いや、あれはまあ、趣味みたいなもんだ。俺が座ってた後ろの店、分かるか?」
「確か、なんとか写真館……」
曖昧な記憶を頼りに答えたら、男がふっと笑った。
「そうそう。俺はそのなんとか写真館の長男坊で、親父と写真館の仕事をしながらプロのフォトグラファーを目指してるところ」
「……写真、」
その言葉に、真っ先に思い浮かんだのは健の姿だ。自分の分身のように常にカメラを持ち歩き、友達時代も恋人になった後もことあるごとにレンズを向けられた。
昔から写真を撮られるのが苦手で、健がカメラを構えると決まって視線を逸らしたり、逃げ出した。そんな俺の態度に、健はすこし淋しそうな表情を浮かべていたのを憶えている。
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