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「ものの相談、と言いますか……殆ど命令に近いのですが。どうです? その無駄に増幅した貴方の感情、他人に提供してみませんか?」
そんな状況下で放たれた男の言葉。それが僕の熱を一瞬にして蒸発させた。
***
「ただいま」
誰も居ないのは分かっていても、玄関を開けたらそう言ってしまう。これは長年繰り返された事によって染み付いてしまった習慣というやつなのか。ご飯を食べる前のいただきます然り、寝る前のお休み然り。
何となく漏れた溜息をそのまま逃がし、僕は止めていた足を再び動かす。目的地は自室、このまま二階に上がれば直ぐだ。
一歩踏み出す度に自らを軋ませる家の階段。小さい頃はこれが好きで何度も上り下りを繰り返したものだ。ふと思い出した懐かしい記憶に心が落ち着く。
そのまま姉の部屋を通り過ぎ、僕は自身の部屋の扉を開いた。
静かに閉まる扉。乱雑に放置された雑誌。はだけた布団。食べかけのジャガルコ、パソコン、ギター、テレビ、ラジカセ、ノート――右手の名刺。
「――アハハハハハハハハハッ!!」
自分だけの空間。誰も邪魔しない、誰の邪魔にもならないこの時間この空間。僕の抑えられた感情が爆発する。
無駄に増幅した感情の提供? なんだよそれ、馬鹿々々しい。新手の宗教か何かですかァッ? 今時そんなの――。
「流行んねェんだよッ!!」
感情に任せて放たれた僕の鞄が音を立てて壁に衝突する。それを見て、何処となく落ち着いたような――気には全くならず、僕の衝動は更に震える。
「……んんッ!! 気になってさぁ、気になって仕方がないんだよなァァ……!」
荒ぶる呼吸。鼻息は不規則に音を立て、身体が振動を止めない。
僕は右手に持つ少し皺の出来た黒い名刺を目の前に持って行き、定まらない視線を無理やり釘付けにする。
そこには白字でこう記されていた。
――皆様の心に安らぎを 感情提供仲介人 ベギアデ――
「ベギアデ……日本人じゃなかったのか?」
何ともおかしな文字の羅列に、僕の熱は瞬時に鎮火される。
あの男、ハットの下に見えていた髪の毛の色は黒だった。首元から少し見えた肌も日本人特有の黄色っぽい感じだった。何処にも外国人の要素は無いが――あ。
そこで単純な事に気が付く。
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