花びら

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 先日、幼少時代に歩いた路地を訪ねた。祖母と暮らしていた家の前を過ぎ、アーケイドの下を抜け、どこまでも続いていたはずの道を進み、歩を進めながら今来たこの道はこんなに短い道だったのかと気がついた。それは祖母の命と同じで、どこまでもどこまでも続いてはいなかったのだ。始まりがあれば終わりもある、当たり前だ。そんな当たり前のことを、子供時分の私は永遠だと思い込んでいたのだった。  道中、私は様々な風景と再会していった。四年生の頃まで通った小学校、通学路、駄菓子屋のあった細道、煙草屋のあった小さな交差点、野良犬に追われた裏道、どちらを向いて何を見ても懐かしいのだが、実際、それらの全てが当時のままそこにあったわけはなく、形を変え、色を変え、時代とともにそこを行く人の姿を変えていた。が、私の目には今見るその景色とともに当時の形や色、そこを歩いていた人の姿が見えたのだ。あ々懐かしいなぁ、半世紀近く昔に見た日常の続きだなぁ、と後ろをふりむいた。半世紀近く、生きながらにして眠っていたかのような気分である。眠りから覚めてきょろきょろしてみると、随分変わってはいるが、思い出の中だけにあるその町は、感触としてのそれらの道々、土地は、少しも変わってはいなかった。  夢の中で再会する、私の父や祖父、祖母の姿形、顔つき、髪型も変わっていない。ちょっとした仕草だとか、歩き方、笑い皺の入る場所、声の柔らかみも変わっていない。何十年も思い出したことのない些細なことが、眠りの中で見る夢では忠実に再現されているところが気色悪くも思えるものだ。
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